『不可視の太陽 第一部・・・scene008

 

 

歌詞の中で、連呼される“Bloodshed”直訳すれば、流血というほどの意味だ。

軽いドラムのリズムからは、まだ1980年代の香りがする。ニューミュージックと呼ばれていた音楽から、完全に脱却していない。英介は、なんともいえない懐かしさの中にいた。しかし、ふと気づいて見れば、おかしなことがある。斉彬が、歌っているのである。彼が、知るはずのない音楽を、それも、完全な節回しで・・。

カーステレオから流れてくる音楽に合わせて歌う斉彬。その声によどみはない。完全に自信に満ちている。下世話な言い方をすれば、音程を外すことがないということだ。

英介は、不思議でたまらなかった。一体、わずか7歳の幼児の歌唱に何を感じたのか。技術的に、子供のそれをはるかに凌駕している。ただ、それだけの事実ではない。

そう言う意味だけでなくて、けっして、子供の歌唱じゃなかった。そして、音楽と完全に一体化した斉彬からは、何かが感じ取れた、彼は音楽には、完全に素人だが斉彬の歌声に何かを感じ取っていた。その歌声は、彼の内面に何かを訴えていたのである。たしかに、それだけの力を内在していたのである。

じぶんが青春時代に聞いていた音楽を、あたかもタイムリーのように歌っている。平成生まれの童子が、である。彼の常識から言えば、黄金の1980年代を斉彬が知っているはずはないのだ。完全に、同時代性を暗示するようなかたちで歌っている。その歌声からは、たしかに、その時代を経験したかのような空気が漂ってくる。

「お前、Silent Voiceを知っているのか?親がファンなのか」

「うーん、それは解答から近いとも言えるし、遠いとも言える」

斉彬は、答えをはぐらかした。英介は、横に座っている不思議な少年、いや幼児について疑問を深めるだけだった。

「ますます、不思議が増えたな。お前はいったい、何者なんだ」

「そんなことよりも、2500万せしめるほうが先じゃない」

「何のために、そんなことするんだ」

「さあ、一種のゲームにすぎないかもしれない・・・・・そんなことよりも、いま、この状況から逃げ出したい。それが理由と言うなら理由なのかも」

「2500万も盗られて、お前の家はやっていけるのか」

「その後のことは考えてはいる、募金活動でもすれば、身代金を盗られた可哀相な一家に1000万も2000万も恵んでやりたいだろう・・・それが人間というものじゃない・・・さいきん、はやりのネットを利用すればすぐじゃない」

「お前、悪魔だな」

「あんたほどじゃないさ」

斉彬の“あんた”という言い方に、英介は何とも言えない懐かしさを感じて、時計を見た。この男は、説明不能な感情を嫌うのである。そんな感情を振り切ろうとしたのだ。

「午前0時ちょうどか」

「腹減ったか・・ちょうどいい、あすこにマックがあるドライブスルーと行こう、元々あんたらの金だが・・」

「気にすることないさ、あくまで保護者が稼いだお金」

車は闇の中に急停止する。そこには、ひっそりと光が住んでいた。真夜中の田舎道に咲いたあだ花、世界最大のファーストフード、マクドナルドを示すネオンサイン。

「・・・・!?」

「どうしたの」

英介は、ぞっとしたのだ。いま、たまたま、視点が斉彬の開かれた大腿に止まった。それだけなら、なんでもないことだが、ドキッとさせられたのだ。相手は7歳、しかも男児だ。ペドファイルの趣味なぞないつもりだったが、いま、現実に英介は、それを感じたのだ。ことばに表現できない懐かしさと愛情とともに・・・。

「まあいい・・おい、チーズバーガー7個に・・・・コーラーのLにポテト・・・」

英介は、おのれの内に生じた訳のわからない感情を抑えるように大声で注文した。ドライブスルーの店員は、50がらみの男だった。多少、白髪が混じっている。この男性は、英介の顔をろくに見ずに注文に応じた。まったく感情を表に出さないほとんど機械的な動きだった。

 しばらく、走ってから車を止めた。幾らかのネオンサインが見たくなったのである。そうしなければ、じぶんが宇宙の闇に放り込まれてしまうような気がした。そこは奈落の底だといってもいい。

「おい、勘九郎軍曹!メシだぞ」

「ううう?んパパ?」

「良い子はこんな時間に起きているものじゃないんだが・・・」

「もはや、殺人犯の子供だものな」

「アンタがそう言ってどうするのさ」

「まあいい、食べな」

英介は、包み紙をくしゃくしゃさせて、食事を促した。マクドナルドの印刷が、いとも簡単に崩れてゆく。それは、形骸化した資本主義社会の軽薄さを暗示している。それは、水に容易に浮揚する・・・あたかも、軽石のような存在である。

勘九郎は目を擦りながら、ハンバーガーを口に含む。

「パパ、ここ何処?」

「うん?八王子の山奥さ」

英介は、ナビを見ながら言う。青緑に蛍光する画面は、彼の強面を多少和らぐ役目を果たしていた。この男は、普段から血行が良すぎるくらいである。酒を飲んでいなくても、そう見られるくらいである。斉彬などは、じぶんの父親と正反対だと思えた。それが、なぜか、斉彬の心に安らぎと安心感を与えるのだった。父親と接していて、どういうわけか、感じてしまう不快な感じ。それが、エディプスコンプレクスとは思わなかった。

紗耶香は、Silent Voice関係だけでは書籍類もかなり遺していた。心理関係は、その一角を為していたわけだ。エディプスコンプレクス何とやらは、その一角から、たまたま斉彬が取り出した本の題名である。外から理屈を取り出して、じぶんを納得させようとしていたのである。

フロイト曰く「息子は母親を巡って、父親を仇だと見なす」

それを物語にすぎないと見なしたことが、彼の慧眼を暗示している。

 

が、なかなか、じぶんで、じぶんを納得させえないことに、相当にいらだちを感じていた。

斉彬は、思いついた計画を実行することで、いらだちを消去することを計った。

「とにかく、僕を人質にして2500万を得るんだ。それには、時限爆弾がいい。それを僕に巻き付けて、みんなを脅すんだ・・・こわい・・こわいってね・・・・・奴らの目くらましに、本物の爆弾を爆発させるんだ、遠隔装置のね」

「何処かで、読んだ小説かい?戦後はじめて、身代金の奪取成功と言うからには、オレとしても食指が動かないわけではないが・・・」

英介は、彼のなかにかいま見える大人と子供の部分に、戸惑った。彼から受ける印象を一言で言えば、大人といえども、大学生くらいだ。英介にとっては子供に等しいが、確実に7歳の幼児とはたしかに違う。

 後ろの席では、空き腹を満たした勘九郎が、可愛らしい寝息を立てている。

 

 


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