『不可視の太陽 第三部 scene001

 

赤い、赤いライト。それがロックバンドannoymousのライブにおいて、もっとも重要視される光源だ。それが死を意味する流血を表すのか、母親の子宮を暗示するのか誰も知らない。しかし、本当に大切なことは、その命題の真偽ではなくて、意識的な視線と無意識的な視線と、どちらが真実なのかと問うことだ。あるいは疑問を持つことだかもしれぬ。

 

 彼らは、いま、インディーズバンドとしては異例の規模と勢いを誇る。そのライブは、下手なメジャーバンドをはるかに凌ぐ。しかし、その技量はまだまだ未知数だ。その上に、レベルの高いキーボードとその他との格差がまだらを見せて、その統一のなさを際ださせている。しかし、まだ幼い少年少女たちにはそんなことは関係なかった。彼らは、本能で、もののよさを見分けるのだ。彼らは、めいめい好きなメンバーの名前を呼びながら、騒いでいる。その姿は、まるで麻薬に身をやつしているかのようだ。

 

 彼らがあがめ奉るステージは、さしずめ神が降臨する社だ。そこにメンバーである五人がそれぞれの楽器と向かい合っている。

 

 中でも、ひときわ際立っているのが、中央にいる少年と彼の左手にいる女性だった。言うまでもなく。ヴォーカルの斉彬とキーボートとギター担当である沙耶である。そして、彼らに劣らず光っているのがギターの勘九朗である。彼は、前でめだつふたりを背後でサポートしているようだった。

 

斉彬の声が、ライブハウス中に響き渡る。その技量はまだ未知数だが、その大器の片鱗を既に見せていた。

 

 その鱗がしおらしく光り輝くのを、この会場で誰よりも理解している男がここにいる。前から5席ほど背後。彼は他のファンたちよりもかなり年上に見える。彼らの父親と言ったら、言いすぎかもしれないが、年の離れた兄と言えば適当だろう。彼は、もろ手を挙げて、浮かれ騒ぐ少年少女から見れば、かなり異色な存在だった。黒服の男は、席に座って音楽を鑑賞しているのだ。まるで、葬式だ。彼ら、彼女らはもちろん、メンバーの誰かに夢中なために、その男など眼中にない。

 

  その男がかつてロック界最高の美姫と呼ばれたことなど知らない。それは、男が濃いサングラスで顔を隠していることだけが理由でないだろう。

 

 既に彼の音楽は、多くの少年少女たちが理解できる範疇を超えてしまっているのだ。彼が属するバンドは、すでに伝説の域に達している。

 

 斉彬は、その圧倒的多数から、完全に外れていた。彼はその男をこの世の誰よりも尊敬し、かつ崇拝してきた。しかし、目の前に本物がいるなどとは夢にも思わない。まさか、自分たちのライブに彼が来てくれるなどと髪の毛の先ほども考えなかったのである。

 

 目の前にひとりだけ着座している客がいる。それは斉彬にはショックなことだった。しかし、それは、斉彬が機嫌が悪い理由ではなかった。客の中にひとりだけ、ノリが悪いヤツがいたからと言ってなんぼのこともない。問題は、別にある。

 

(勘九朗!!一体、何をやっているんだ!)

 

斉彬は、彼からギターを奪ってしまいたい気分だった。唄いながら、完全に苛立っている。それが歌唱に現れることがわかって、さらに気分が悪くなる。

     ・・・・!!

斉彬は、わざと声を変成させて怒りを勘九郎に向けたが、音沙汰無しだった。ちょうど、彼のリードギターが光る部分だったために、その意図はあきらかなはずだった。しかしながら、勘九郎は、まったく無反応なままを通している。彼の演奏は、まるで音楽から完全に感情を抽出してしまったかのようだった。

 斉彬のヴォーカルとの掛け合いは、annoymousの売り物のひとつなのだ。しかし、それがいま、うまく機能していない。勘九郎は、ただ、斉彬のヴォーカルに従臣のようについてくるだけだった。

沙耶は、しかし、それを意図的でないと感じていた。何処か、魂が抜けてしまったかのような有様。思えば、さいきんの勘九郎は、音楽に限らず何処かおかしい。沙耶は、それが何時始まったのか知っていた。そして、その理由も・・・。

自分の父親が犯した罪について、そして、それにもかかわらず、被害者の前でいけしゃあしゃあとしていたこと・・・。

(さすがに、患者ふたりは、身に余るわ・・・)

沙耶は、思った。しかし、蠢くスポットライトのせいか、自由自在な感情操作のせいか、外からは、彼女の内面はようとして知れなかった。

まるで、彫刻のような白い顔が踊る。彼女を見るひとは、飄々としている彼女から、彼女の内面を見る人はほとんどいないだろう。

天才的なピアニストとして有名な母親、そして、その才能を引き継いだと思われる母親。彼女たちと展開した確執の朝のことを・・。浮かんでくる数々の場面。忘れたい記憶は、数え切れないほどだ。

そして、人生の昼を迎えたいまに、あってもそれを完全に卒業したのか。それは彼女自身にすらわからないことだった。

ロックバンドとは思われないキーボード使い。

幼少のころから、昼に夜に、辛い修練を重ねてきたと思われる。それは聞く人が聞けばすぐわかる技量だった。沙耶の指づかい。それは、キーボードの上を妖精のように踊る。

 沙耶の視線にも、男は目にとまっていた。男は、長い足を組んで座っている。微動だにしない。

(すくなくとも、音楽会社関係者じゃないな)

沙耶の慧眼は、そう見ていた。それは正鵠を射ていたが、彼女自身、自信のあることではない。

男は、かすかに口ひげを蓄えていた。それがやけに整った鼻筋と不釣り合いだった。

 

 

――――ライブは、若者たちの歓声とともに、終わりを迎えた。楽屋へと向かうメンバー。その中で、斉彬は、挨拶もせずにひとり出口へと急いだ。

沙耶は、その後ろ姿を見つけたが、声をかけようともしなかった。第六感か第七感かは知らないが、それを彼女にそうするように語りかけたのである。

斉彬はケンカをしたくなかった。だから、勘九郎の顔を見たくなかったのである。だから、ひとりで、夜の街へと消えようした。しかし、メンバーやファンから消えおおせても、自分から消えるわけにはいかない。

(くそ!蒸し暑いな)

梅雨を迎えた夜は、いやな空気を運んでくる。

ネオンサインも斉彬の心を怒りから醒ましてくれない。まず最初に目に飛び込んできたのが、マックのそれだったからである。黄色と赤はまさに熱そのものだった。それらは、斉彬の怒りに火を付けるだけだった。

(え?あの人は)

彼の怒りを醒ましたのは意外なオブジェクトだった。

それは人物だった。サングラスの人物。それは、さきほどのライブの人物だった。背が高い、180センチは超えているだろう。178センチである斉彬よりも高い。颯爽と歩くその姿は、豹を思わせた。

「あのすいません」

斉彬は無意識のうちに話しかけていた。

「何か?」

男の物腰は柔らかだった。優しげな顔を向ける、ただし、サングラスのためにその表情は斉彬には見えなかった。

「さきほど、僕たちのライブにいらっしゃいませんでしたか」

「すると、プロにもかかわらず、観客の視線が気になっていたわけですか」

男の言葉はその柔らかさにも、係わらず容赦ない内容だった。

「しかし、僕たちはインディーズで、プロじゃないですが」

「インディーズでも、オリジナルを作って、客から金を取るんだからプロでしょう」

「はい・・そうですね」

「でも今日のライブはうまくいかなかったですね」

「それは何処か教えていただけますか」

「ヴォーカルとギターがケンカしちゃいけない、いやあれはケンカじゃないな、一方的に責めたとなればいじめと言ってもいいです」

「!?」

男の指摘は、おそろしいほどに真実だった。

「唯一の救いはキーボードですね。前から聞いているが、まったくぶれがない。君たちが転けても、まったく影響されずに弾いている。あれは完全にプロですね。一体どこから連れてきたんです?単なる音大生って感じじゃありませんね」

男は沙耶のことまで看破していた。

 

「でも、ありがとうございます」

「どうして?もしかしたら、私は音楽について何もわからない素人かもしれないんですよ」

「いえ、そんなことないと思います。あの若い子たちはほとんどが高校生ぐらいです、ただノリで僕たちをほめたたえているだけです、そんなのはすぐに忘れ去られてしまいますよ」

「年齢にもかかわらず、謙虚なんですね・・・・でも、それは必ずしもいいことじゃないですよ、私が君たちの歳はこうじゃなかった・・おっと、こんな時間になってしまったか・・じゃ、私はこれで」

「あの・・」

斉彬は男の言葉が気になった。しかし、男は人混みの中へと消えていってしまった。彼は、いまいち、若い高校生たちを鏡にすることはできなかった。ファンの多くは高校生たちである。彼らは、掛け値なしに自分たちを褒め称える。それは、たしかに嬉しいことには嬉しいが、自分たちに対する客観的な評価とはとうてい思えなかったのである。それは勘九朗や、沙耶も共有している認識だった。特に沙耶はそう主張した。そんな中で、ひとりだけ、沈黙を守っている人物がいた。あの阿鼻叫喚の中で、ひとりだけ、自分たちを観察しているような存在にであうことができたのである。このひとなら、自分たちに正統な評価を与えてくれるのではないか。そう考えたのだ。

 (しかし、どこかでであったかな)

斉彬は、男が姿を消したあたりをいつまでも見守った。すでに彼はいないのに・・・。そこは見知らぬ人の海だった。ただ、空虚な波の音だけが、斉彬の耳に響くだけだった。

 

 

 

 


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