『不可視の太陽 第二部 scene008

 

喫茶店爆破事件後はじめて、芳子は息子に出会った。

病院の床を打つ激しい靴音とともに、かれはやってきた。そして、驚くべきことばを実母に対してぶつけたのである。

 “芳子姉”と。

ふたりは立場を変えて、かつて似た体験をしている。あの時は、斉彬が危険な状態に置かれていた。

それは、12年前のあの日、斉彬が誘拐されて何時間ぶりに出合ったあの日のこと。あのとき、愛息はまだ誘拐犯の手の内にあった・・・・少なくとも、芳子はそう思っていた。

 そして、ふたりの対面の場所は、八王子の山の中だった。警察が監視の中、事は行われていた。

身代金要求の事件の常として、マスコミとは協定が結ばれていた。そのために、周囲にテレビカメラのたぐいは存在していなかった。

 あの時、斉彬は一瞬にして何処かに消えてしまった。まさに雲散霧消そのものだった。

あの時、感じた邂逅のイメージが重なる。

 しかし、目の前に確とした斉彬が存在していた。

 

その時、息子の口から出てきたコトバが芳子を慄然とさせた。

「芳子姉・・・・!!」

息子である斉彬が、自分にむかって“姉”と呼んだのである。

そして、息子は頭を抱えて床に転がるように崩れてしまったのである。それは、あたかも自分で自分のコトバを葬り去るためのように見えた。そして、そのコトバは、勘九郎も聞いていた。

すでに午後九時を回っている。

 ここは、都内の総合病院である。事件の被害者が一律に搬入された病院だ。現場である喫茶店において、現場検証と平行して、応対ができる者にたいしての、警察の事情徴収も行われている。

 

 午後五時ごろ、すなわち事故直後の病院の中は阿鼻叫喚そのものだった。爆弾事件の被害者の家族や遺族達・・・。それから数時間に渡って、煩雑な取り調べと治療は平行して行われた、警察と病院関係者によって・・・。

そのなかで、芳子の頭の中で、起こっていることはごく個人的なことにすぎなかった。芳子は精神的に動揺したまま、医師の診察を受けた。そして、何の問題もないという保証を得た。それは勘九郎も同様だった。一方、斉彬は、即座に別の診察室につれていかれていた。

「ママ・・・」

芳子は、右手がひかれるのを感じた。そこには、娘である秋が母親を求めていた。

「秋・・・・・・」

「お兄ちゃんどうしたの?」

「・・・何でもないのよ、ちょっと、疲れちゃっただけ」

勘九郎は、秋がいるので、芳子と話しをすることができなかった。彼女を動揺させてはならない。そう思ったのかもしれない。

 やがて、斉彬の診察室から連絡があった。芳子は、勘九郎に秋を委ねると診察室へとむかう。

 そこには斉彬が座っていた。

 「なんでもありませんよ、ご心配だったら、後で精密検査でも受けられたらどうでしょう」

童顔の医師の反応はそっけないものだった。

「そうですか」

斉彬はそう言うと医師に尻を見せて、出て行こうとした。芳子は医師に黙礼だけして、後に続く。

「斉彬・・」

「お母さん、今日は下宿で泊まっていってよ。あいにく、こんな時間だから勘九郎の手料理ってわけにいかないが」

 斉彬の態度は、芳子の理解を超えていた。あの時のことを憶えていないのか・・・・。

 

 「あ、お兄ちゃん」

診察室から出た斉彬たちを迎えたのは、勘九郎と彼の妹である秋だった。

「お兄ちゃん、急に頭が痛くなっちゃったんだ」

秋は、兄に対してまともに反応することができなかった。両目を擦りつつ、半ば自動的に応対している。

「もうおねむさんなのか、秋は」

斉彬は、そう妹にうそぶく。すくなくとも、芳子にはそう思えた。すべて演技していうように見えるのである。秋に対して、妹をやっていること、芳子に対して、息子をやっていること。どう見てもすべて演技じみている。

 四人は、勘九郎が運転する車に乗って、斉彬の下宿へと向かった。夜も遅いので、というよりもまだ幼児にすぎない秋を慮ってのことである。なんと言っても秋は、5歳の幼児にすぎないのだ。彼女にとって、午後九時はとっくに寝ていていい時間だろう。それを証拠に、秋は母親の膝の上で寝息を立てている。

「母さん、あの刑事さん憶えているよ」

「え、斉彬も憶えていたのね。立花さんと小折さん」

芳子は、12年前の事件のことを思い出した。あの事件で尽力してくれたのはふたりの刑事だった。立花は細面というには、あまりも細すぎて、馬面というのにふさわしい面体だった。一方、小折は、刑事というよりはヤクザの親分を思わせるところがあった。あのデコボココンビを思い出すとおかしかったが、今回、小折が亡くなったことで、それどころではなかった。

「小折さん亡くなったのよね」

「もしかして、今回のテロはそれが目的だったのかな」

斉彬は、カーステレオをいじりながら言う。一方、勘九郎は携帯を耳にしていた。彼の口からとある有名ピザ店の名前が飛び出る。

 

「・・・・ですけど、ミックスピザお願いします。サイズはM―4。数量は二枚」

「ピザか・・・勘九郎、気が利くな」

「もう料理する時間ないし・・・たまには胃に悪いものを入れてみるのもいいでしょう」

 芳子はふたりのやりとりを聞いていて、まるで兄弟か仲のいい従兄弟同志のように思えた。斉彬が、自分のことを“芳子姉”と呼んだことなど、頭の隅に待避させていた。それほど、和気藹々とした空気が産まれつつあったのである。

「これで、家につくころに食事ができるでしょう・・・・秋ちゃんはもう寝ちゃっているか」

「ああ、夢の世界でおままごとしているよ」

「もしかしたら、前世でも思い出しているかもよ」

「前世?」

斉彬は絶句した、勘九郎の口からそんな単語が出てくるとは思わなかったのだ。しかし、芳子は別だった。本来、頭はいいが物事を深く考えない性格である彼女だ。それなのに、異様にしっくりとくるところがあったのである・・・“前世”という単語にである。

「じゃあ、秋の前世はなんだったのかな」

「家族で、交通事故にあったんだ。車ごと、真夜中の湖に転倒した。五人いる家族の中で彼女だけが助かったんだ」

「暗いはじまりだな・・・しかし、それが秋だって?でもまだ死んでもないじゃないか」

「車の歴史なんて、この日本でも100年以上はあるじゃん、きっと馬車みたいな車で事故にあったんだろうよ」

「100年前ってことになると明治だろう?よほどのお金もちってことになるな」

「秋ちゃんの前世は華族のお嬢様だったかもよ」

「また、お話を作って、こいつ、いつも物語で説明しようとするんだよ」

斉彬は、バックシートで秋をあやしている芳子に向かって言った。

「ああ、そう?」

芳子は、ふたりの会話を聞いているともなく聞いていた。もともと、深く考えない芳子だったが、ここ10年以上に渡って不思議な体験に会い続けると、いやでも考えたくもなるものだ。末の妹である紗耶香の異常な死。そして、ほぼ同時に産まれた斉彬。このふたりを結びつける共通点はあまりに多い。音楽の嗜好から何て言うことはない仕草まで。

 ロックバンド、Silent Voiceに対する病的とさえ言えるほどの執着。なによりも、これが最たるものである。

ただし、それらを“前世”ということばで、両者を簡単に結びつけてしまうほど、芳子は天然ではなかった。Silent Voiceで彩られたあの部屋。そこに長いこと引きこもっていた斉彬が影響したとも考えられる。そして、もっとも違うことと言えば、斉彬の歌唱力。かつて紗耶香は、おせじにも歌がうまいとは言えなかった。何度も、カラオケに付き合わされた芳子が言うのだから、否定しようがない。

「・・・・でも、斉彬、歌がうまくなったわね」

「どうしたのさ母さん」

「あなたのライブを思い出していたのよ」

「まったく。また話しを聞いてないんだから」

「いや、ほんとうにうまくなったわ・・・」

芳子は一瞬、意識のいちぶを何処かに奪われていた。あたかも過去を懐かしく回想するかのような面持ちだ。

「まるで、前にオレの歌を聴いたことがあるみたいじゃん」

「え・・?わたし・・・・あ、そうね」

芳子は、斉彬のことばにほとんどまともに反応することができなかった。カーブを待っていた打者がストレートに面食らったかのような状況である。

「CDあるよ、聞いてみます?」

勘九郎が、ダッシュボードからCDを取り出した。簡素な外見は、それがインディーズであることを指し示している。しかし、その内容はすでにプロレベルを凌駕している。この時点において、かれらに声をかけたいと思っているレーベルは後をたたない。ただ、斉彬たちが、ネットや知人を使って巧妙に販売している。そのために、なかなか、斉彬たちを捕まえられずに難儀しているようだ。しかし、そうであっても斉彬たちを売り出したいと言うのは、その実力を暗示していた。

 もうひとつ、自らを明示できない理由があった。それは後に譲ろう。

車内には、斉彬たちの音楽が充満している。激しいドラムとギターの連呼は、ハードロックであるという点において、Silent Voiceと性格を一にしている。しかし、その本質は何処か違うものだ。それは音楽を知らない芳子にも読み取ることができた。いや、知らないこそ、読み取れたのかもしれない。

 「あなたたち、バンドの名前ないの?」

「急ごしらえですからねえ」

「急ごしらえでもバンドの名前くらいあってもいいでしょう・・・それにしても」

「それにしても?」

Silent Voiceと全然ちがうじゃない?あんなに好きだったのに」

「あたりまえじゃん、神様だよ、あの人たちは・・」

 

「そう言う意味じゃなくて・・根本的に違うというか影響を受けてないっていうか・・私音楽なんか、まったく興味ないんだけど」

「きっと、それは沙耶さんの曲だからですよ」

「そうだな、オレが曲を作ったら、きっとSilent Voiceのコピーになっちまう」

勘九郎に、応じて斉彬が言った。

「で、これ、なんていう曲なの?」

「曲名は未定です」

「・・・・」

芳子が質問する言葉を失ったとき、車は、下宿の地下駐車場に入り込むところだった。そのとき別の口かおそるべき言葉が発せられた。

t">「ママ、お腹すいた」

 

 

 

 

 

 

 

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