『不可視の太陽 第二部 scene007

 

 「ふうん、それで、中学の同窓会にこれたちを持って行ったの」

「・・・・これたち?変な日本語ねえ、・・・・別に見せ回ったわけじゃないわよ」

母親は息子の感想に不満そうな顔を見せた。息子は、都内に通う大学生だが、さいきん、ロックバンドなぞをはじめたらしい。下宿にくらす息子がはたして、何をやっているのだろうということで、偵察に来たのである。

 その有田芳子は、ふたつのおまけを携帯してきた。斉彬はそれらについて言っているのである。

 有田芳子、言わずと知れた斉彬の実母である。

その白い顔は、息子に似て美しい。はたして、母親に似て、息子が美しいのか、その逆なのか。

 有田芳子は、和装をしている。着物を着ると老けて見えるものだが、それは彼女には当たらない。もう、40代も半ばになるはずだが、そうは、見えない。ほっそりとした身のこなしは、メタボリックなどとは無縁にみえる。

「・・・・ちょっと、煙草吸ってくるわ」

芳子が、ドアノブを回そうとしたときである。それは勝手に回った。目の前に現れたのは、いが栗頭の大学生だった。

「あ、勘九郎くん」

はたして、ふたりは知り合う仲になっていた。斉彬と勘九郎は同居しているのだから、当然のことだった。

「もう、帰っちゃうんですか」

「いや、ちょっと煙草を吸うだけ、斉彬がしつこく言うものですからね」

その口調は、旧華族のお嬢さんを思わせる。

「最近、煙草を吸う人たちは、差別されて当たり前なのさ。そのうち、強制収容所にでも入れられるかもしれないよ」

「まったく、何ていう子かしら、ねえ、勘九郎くん、ちょっと付き合ってくれない?」

「善良な青年を悪の世界に引き込むつもり?」

斉彬のよく通る声が多くから響いてくる。

「そんなつもりはないわよ、ね、勘九郎くん」

芳子は、斉彬の肩を叩いた。階段を下りていく足音がふたつ。そして、消えていった。

「オレひとりにこいつの世話を押しつけていきやがった」

斉彬は、隣の部屋でこくりこくりと眠る少女を見た。まだ五歳の少女である。

 

 「秋ちゃんいいんですか」

「いいのよ、あの子もいいかげん兄の自覚を持ってもらわないと」

芳子は、草履をぱたぱたさせながら言った。

「妹と言っても・・・・・・・・」

「何?」

「何でもないです」

勘九郎は、顔を赤らめた。

芳子は、実は、彼が同居してくれたことが嬉しくてたまらないのである。斉彬にも友人ができた。それは中学、高校にもそれらしき存在はいるにはいたが、親友と呼べる存在が、はたしていたのかというとかなりの疑問なのだ。

 小学校の一時期、行われていた登校拒否が、尾を引いているとしか思えない。いまだに、何か影響しているのではないかと不安でたまらないのだ。もしかしたら、杞憂にすぎないのかもしれないが、不安は考えれば、考えるほど雪だるま式に増えていくものだ。

 登校拒否が終わる寸前に、あった事件のこと。あれを境に、斉彬は変わった。何があったのかわからないが、とても積極的な子になったのである。しかしながら、何処か、表面で嘘を付くようなようすが見て取れた。息子はとても器用な子だ。頭はいいし、機転も利く。しかし、それだけに、彼は、じぶんの能力に逃げているような気がしたものだ。

 表面的な友人はたしかにいた。しかし、社会向けの便宜上の道具にすぎなかったかのように思える。

ある種の男たちは、社会的な身分を繕うために、好きでもない女性と婚姻関係を結ぶ。ある意味、それと似ている。

 斉彬は、家族や教師たちを安心させるため、いや、過剰な妨害を防ぐために友人をつくっていたように思えるのだ。

 しかし、目の前にいる勘九郎は、何処かちがう。それはあくまで直感にすぎないが・・・。彼女は、そのつたない直感に頼ることにした。

「さいきん、あの子はどうなのかしら」

「・・・・別にかわりはありませんよ」

ここは、こじんまりとした喫茶店。斉彬と勘九郎の下宿から徒歩5分のところにある。赤い旧い煉瓦風の壁。そして、壁にあしらわれた蔦。それらは、中世欧州の農家を思わせる。   チェーン店しか生き残れないこのごろにおいて、珍しい古風な店だ。

 小さな窓にはめ込まれたステンドグラスが、青系統の光を透している。それは、新鮮な空気を醸し出している。

「・・・・勘九郎くんは半分払ってくれているでしたね」

「当然ですよ、僕は同居人ですから」

勘九郎が注文したココアとドーナツが先に、やってきた。

ドーナツをほおばる勘九郎を見ながら、芳子は思った。

 この子は、たぶんそれなりの階級の出なのだろうな・・・・と。彼女が息子にあてがった下宿は、場所、建物の双方とも、かなりの出血を要求する。その半分でも月に出せるとなると、その経済状態も想像できるというものだ。

「親御さんはどちらかしら」

 勘九郎は、一瞬だけ口腔内で、ドーナツを噛むという作業を休めたが、やがて飲み込んだ。

「・・・母親は不明、父は泉下の人です」

「あら、ごめんなさい」

芳子は、遅れてやってきたレモンティーに砂糖を入れながら言った。

「いえ、別にいいんですよ、」

「え?」

「どうしました?」

「いや、何でも・・・」

 その時、アラブ系と思われる外国人が入店したのである。別に、芳子は彼等に偏見があるわけではないが、ある種の不吉な予感を押さえられなかった。しかし、即座にそれを押さえて、口を再び開いた。

「音楽の方はどうなの」

「おばさんが、音楽に興味があるとは意外ですね」

「妹のことがあるから、それなりの知識はあるのよ」

「斉彬くんから聞いてます、亡くなられたんですよね」

「あの子が生まれる寸前に逝っちゃったわ」

芳子はそう言うものの、いまだに妹が死んだような気がしない。

「斉彬くんも、亡くなられたおばさんのことをモティーフにして、歌を作りたいみたいです」

 芳子は片耳で勘九郎のはなしを聞いていたが、どうしても、アラブ系のことが気になってたまらなかった。どうしてもそっちに注意がいってしまう。男は、アラブ系ゆえに、当然鼻の下に髭を蓄えている。それは顎でつながっている。黒々とした髭は、どうしても善意の塊には見えなかった。

「突然だけど、テロとかどう思う?中東とか」

「突然ですね・・・・」

「そういうの、音楽のモティーフにするつもりはないのかなと思って」

「それは、70年代のミューシャンに任せておけばいいと思います」

「ふーん」

 芳子は気もそぞろだった。例の男は、芳子たちが座っている席から、大きな柱を隔てて観葉植物の近くでコーヒーをすすっていた。芳子の乏しい知識のなかでは、かれらは、鬼のように濃いコーヒーに多量の砂糖を入れて呑むはずである。テレビの中では、中世とかわらない服の男たちが、旧い街のなかで、コーヒーをすすっていた。

ところが、あの男はスーツを着こなし、都会風のいでたちをしている。しかし、何処か、平和的でない危険な空気をぷんぷんとさせているのだ。

「ねえ、勘九郎くん、もう出ようか」と芳子は伝票を持って立ち上がった。その時である。

シュ!ドーン!!

砂漠のように乾いた音とともに、閃光がふたりの視線を覆った。そして、同時に巨大な圧力を感じた。それは巨大な注射器に閉じこめられ、ピストンを押されるような感じだ。空気は一気に圧縮される。

「うわあああ!!」

「ぃやああああああ!!」

「熱い!!」

あたりから、呻くような男女の声が木霊した。そのとき、ふたりは罅の入った柱の下で震えていた。強烈な閃光から、それ相応の怪我をしていると思っていた。いや、致命傷に到っているとすら思った。

「うう・・・あ、お母さん、大丈夫ですか」

ようやく、勘九郎は、自分以外の存在に注意をむけることができた。

「うーん、大丈夫よ」

芳子が立ち上がると辺りから、男女のうめき声が聞こえてきた。あたりは瓦礫の海と、そこに溺れるなり漂う怪我人たちである。みんな血まみれだった。ここは、さながら戦場と化していた。

 

 取り調べにきた警察関係者は、立花巡査部長だった。芳子は、彼に面識があった。例の誘拐事件のときに、話しを聞きに来た刑事のひとりである。もうひとりは、小折警部補だったが、今回、芳子は、生きている彼ではなくて、死体となった警部補と対面することになった。

 一応、ふたりは自分の足で歩くことができたが、病院に搬送されることになった。しかし、重傷者たちと違って、パトカーでの行旅となった。

 

 

 

 

 

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