『不可視の太陽 第二部 scene003

 

 

 

 

 

 チェーン店とは思えない店の名前。店内にしっとりと流れるピアノの調べ。

さいきんでは、珍しい喫茶店という単語。しかし、この店は、まさにそれにふさわしい場所と言えた。

「ここ、いいだろう?」

「そうだね」

入学して半月あまり、斉彬に対するときだけは、なぜだか、平素の言葉遣いになっていた。

勘九郎は、ガラスの透明な壁一枚に隔てられた風景に魅入った。適当に配された街路樹に、洒落た服装の男女に、店々の類・・・。それらは、洗練された都会を象徴するにふさわしい面々である。都会と言ってもここは特殊である。ふたりが通う国立大学を中心としたこの街は、一種の学園都市である。そのために、知性の香りが漂う一風変わった空気を醸し出している。

「ここからの眺めが最高なのさ」

勘九郎はそう言って、外を眺める斉彬を見つめた。アルビノのように白い肌、まっすぐに整った鼻筋。慧眼がこぼれる瞳などは、初めて会ったときとほとんど変わっていない。変わっているとすればよりいっそう研ぎ澄まされたということになるだろう。

「斉彬君は、現役だったの、すごいな」

「いや、そんなこともないさ・・・そういえば、きみはどこだっけ、学部は?」

「文学部心理学科だよ」

「そう、心理・・・たとえば、あすこに歩くねえちゃんがどんなこと考えているとか分かっちゃうわけ」

 斉彬は、街行く赤いスカートの女性を見て言った。

「・・・」

勘九郎は思う。彼が思うところ、斉彬は、きょうびの男子大学生という仮面を完全に被っている。今風の服を着て、今風の髪型に頭を整えている。それは、東京のどこに行っても通用しそうである。この学園都市はおろか、原宿や渋谷でさえ若者の耳目を刺激しそうだ。

 しかし、何処か、それは本当の彼ではないような気がするのだ。

「なあ、今のオレを見てどう思う?」

「どうとは?」

「いいからさ」

「メンズノンノの展示館」

「住宅展示館と重ねているのか?きついな・・・しかし・・」

斉彬はストレートティーを啜った。斉彬もやっと運ばれてきたカプチーノの匂いを嗅ぐ。

スプーンで、カップの中をかき混ぜながら、頭の中で本来、聞いてみたいことを反芻する。

-------――いったい、あのとき、父親と何があったのか・・・。しかし、彼自身、どうしてこんなことが気になるのかわからない。勘九郎は、どうにかして、その方向にベクトルを向けるべく、話を繰り出す。

「憶えている?あのときのこと・・・・」

「カラオケでの話か」

いい加減切れた。

「話を・・・・!!」

「わかってるって・・・もう、3限がはじまるぜ」

「斉彬くん」

勘九郎のことばを避けるように、斉彬は店を去っていった。

「・・・」

勘九郎は、斉彬が残したストレートティーを眺めた。

 この話を何回ふっても、曖昧にされてしまう。いうまでもなく、1996年の五月の出来事である。あれから12年が経った。小学生は大学生になった。あの当時の出来事は、あきらかに非日常だった。その意味においてケでなくでハレの日だったかもしれない。いや、ハレというには、あまりも過激すぎた。わずか7歳の少年が体験するには、異常だったのである。

 立て続けに父親の殺人や強盗など悪行を目の当たりにし、間接的ながら協力までさせられた。それがどのような意味を持つのか理解もしていない児童がである。そして、斉彬との邂逅は、彼にいかなる意味を与えたのか、だれも知らない。

 ただ言えるのは、衝撃的だったということである。なぜならば、たった一日過ごしただけで、その印象を永遠の記憶に残したからである・・・・お互いに。

 そんな勘九郎の追想を邪魔したものがある。

それは、女性の手だった。勘九郎が振り返ると、はたして、そこには沙耶がいた。長い髪を邪魔そうに右耳にかけている。

「3限はないのか」

「はい、休講になりました。先生もいないんですか」

「だからここにいる」

無表情に答えた。新歓コンパのときとは、まるで人が違う。勘九郎は戸惑った。

「よかった、勘九郎君に話があったんだ、ここいいかな?」

「ええ」

返事がある前から、女だてらの長身をたたんで座る。

「ホットココアを」

注文を済ませると、沙耶は、とぐろを巻くように足を組んだ。どこかこの女性には、蛇を思わせるところがある。蛇といってもかなり上品な部類だ。欧州では、蛇は竜と同じように悪しき存在だが、東洋、ことにこの日本では、必ずしもそうではない。

「単刀直入に用件を言おう、勘九郎くん、バンドをやってみないか」

「・・・・!?」

突然の申し入れに、勘九郎はうまく反応できなかった。金色に染まった毬栗頭を上下させながら、脳内にそのことばを定着させようとする。

「バンドって・・・・・どうして、いきなり・・」

勘九郎は、二の句がつげなかった。沙耶の申し入れが突然だったからである。

「あの時、君のギターテクニックを見せてもらったからさ」

「え・・・?」

驚いたのも無理はない。なぜならば、当時、沙耶は酔いが回って人事不省に陥っていたからだ。よっぱらいのキーボードパフォーマンスを繰り広げていたからだ。

 記憶は飛んでいなかったのか?すると、あれは演技なのか?

勘九郎は、疑問の目を向けた。

「斉彬くんのヴォーカルに合わせて、手を動かしていただろう?あれはみごとだった。リズム感、音ともにね」

「音がなんでわかるんですか」

「何、勘・・・さ。おっと、四限が始まる・・行かねば・・君も授業があるだろう」

1,2秒ほど目を瞑っていた以外は、まったく感情を示さずに、沙耶は立ち上がった。

「じゃ・・・・記憶に留めておいてくれ」

勘九郎に背中を見せると、ハイヒールの音、リズミカルに店を後にした。沙耶の引き締まった尻の筋肉が収縮するのが見えた。光の加減で銀色に見えるタイツスカートが、清潔感とともに、いや、その裏に得体の知れない悪魔めいたものがかいま見えた。

 

ピカピカに磨き立てられた床には、実視よりも奇麗な風景があった。

「バンドか・・・・」

ひとり残された勘九郎はガラス張りごしの借景に目を移した。

----――――沙耶は、あのときのことをすべて知っていた。カラオケの新歓コンパのことだ。勘九郎は、人知れず、ギターをひいていたのだ。一般にはエアギターと呼ばれることが多いが、勘九郎のそれは全く違う。彼はその技術を持っているのだ。それに、曲も創ることができる。

 「まさか、すべてを見抜いていたとはね・・・・あ、ぼくも急がないと」

勘九郎は立ち上がると、オレンジジュースを飲み干した。

 

 

 

 

 

 


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