『靄』



T 辺りをうっとおしい靄が立ちこめていた。やがて、それは霧になろうとしていた。

U「じい、こうして雲を見ていると、ラピュタに乗っているようだ」
「ガリヴァー旅行記ですか?殿下」
ふたりが寝転がっているのは、城を臨む丘陵地。春風が王国に、恋の季節を告げるうららかな季節。
王子は、昼寝を思い立って城の外へと繰り出した。そして、すこしばかり馬上のひとになった後、三十代前のご先祖が眠る社の前で、寝ころんだのである。
 大理石の彫像。英雄のそれとしては、とても不思議な像だった。傍らに赤子を抱いているのである。29代前の国王であると伝わる。
 実は、30代前のご先祖さまは、臣下の内乱によって、死のすんでまで追い込まれたことがある。そのとき、馬の後ろに愛妻を、かたわらに愛児を抱いて、虎口を脱したと言う。
王子は幼少のみぎり、じいに言ったものだ。
「じい、予もいつかは家庭を持ち、子をこしらえたいものだ。そのとき、予は、おのれの命に代えてもいいものを持つのだろうな、ご先祖さまはそうおっしゃっているように思える」
----―――――しかし、それから10年たった今、彼にそのころの気力はすでにない。

いかめしいカオで、あたりを睥睨するご先祖さま。しかしながら、そんなものは、我関せずと言った心持ちで、空を見つめている。
空だけを見ていると、まるでじぶんが浮揚しているような錯覚に陥る。それはあたかも、大空を浮揚するラピュタに乗っているかのようだった。

V「いつまでもそうしておられると、起きられなくなりますぞ」
「予も子供のときに読まされた・・・なつかしいものだ・・・え?」
王子は、身の異変を感じた。起きようと、意志をカラダを巡らしたが、動かないのだ。何かに縛られているような感触。
「まさか」
王子は、かつて読まされた『ガリヴァー旅行記』の断片を思い出した。
しかし、いまは、フランス革命から100年を越え、人類は新しい時代を向かっている。そのような無知蒙昧の童話など、王子に一握の砂ほどの影響も与えることはあるまい。
だが・・全身はまるで針金に全身を縛られたかのように、微動だにしない。

W「じい!そなたは無事か?」
「フォフォフォ」
王子は、じいをも、じぶんと同じ目に遭っていると思った。しかし、事実は違った。じいは元気に踊っているではないか。そして笑っている。
「こら、何をしている!予が困っていると言うのに!お前は・・・・え?」
王子は我が目を疑った。かの旅行記よろしく、小人が群れを為して、おのれの体躯に乗っているのである。
 彼等は、我が王国とばかりに王子の上で小躍りしている。
X「信じられぬ!これは事実か」
王子は、自らが大地に縛られている場面を想像した。それは、かつて、彼が子供だったころ、読まされた本の挿絵に酷似していた。絵の中で、男は大の字の大地に縛られ、髪の毛の一本まで括られていた。
 そのような目にじぶんが遭おうなどと、10年前の彼はまったく予想しなかったに違いない。

  Y王子は、かつて彼が戦場で活躍した記憶を思い返した。彼は幅広の剣をかっさげて、敵中へと切り込んでいった。勝利で終わった暁には、地面に剣を突き刺して、勝利を祝った。そんな記憶は、いまはむなしく消え去る。
 そんな勇猛果敢な王子はここにはいない。
おのれの指先ほどの小人に、全身を縛られて身動きひとつできずにいるのだ。 そして、異様なことに、幼少の頃からじぶんに仕えてきたじいは「ふぉふぉ」と笑いながら、小躍りしているのだ。王子は、 これが夢の中の出来事だと思いたかった。

Z いったい、じぶんが何処にいるのかわからない ------――――――王子はそんな思いに囚われた。しかし、こんなこと始めてではなかった。戦場にて、それは、戦っているあいだでは、むしろない。戦争が終わって、腐乱した骸を見つけたとき、ふと、そんな思いに駆られることがあった。  いま、ちょうどそれに似ていた。
(じぶんはいったい、何のために戦っているのだろう)
いまいち、大地がはっきりしない。何処に立っているのかわからない。頭の中に靄がはったような感覚。
 そして、いま、王子は大地に縛り付けられて、同じような状況に陥っている。


[「ほれ、ほれ、本当に動きたいと思わない限りは、動けませんぞ」
じいが言った。
王子は、頭の中で、その声が木霊するのを感じた。
(本当に、じぶんは動きたいのだろうか?このままでいたほうが楽ではないのか、もう戦場に行くことはないし、人を殺すこともないし、殺される心配もない) ただ、このまま眠っていたい。もしかしたら、じぶんはそう思っているのではないか。
そう、王子は思い始めた。

----――そのとき、雨が降り出した。さきほどまで立ちこめていた靄が霧になり、雨になったのかもしれない。
 王子はどうにでもなれと、目をつむると空をふたたび仰いだ。四股が自由にならない彼には、そんなことぐらいしかできないのだが・・・。

\「・・!!」
王子が再び、開眼したとき、以前よりもその目は光っているように思えた。
じいは、それがおのれの希望的観測でないことを祈った。
「えい!!」と一声。
王子は起きあがった。
「あれ?」
王子の体躯で蠢いている小人たち。気が付くと、それらは蟻の大群にすぎなかった。
瞬く間に、逃げまどう蟻たち。
王子はこのとき、すべてを悟った。
「いづれ、家庭を持ち子をこしらえる」 それを王子に悟らせたのは、29代前のご先祖さまだった。彼の目は、濡れていた。それは雨のせいだったのだが、王子には涙に見えた。
その涙が、王子に再起の機会を与えた。
「じい、馬を戦に行かねばならぬ」
「はい、陛下がお待ちです」
王子は、いつまでも王子の背中を見つめていたかった。
いまだに、のっぴきならない状態にはちがいなかった。しかし、何かが違って見えたのだ。
それを、じいは見極めることに楽しみを見いだしていた。

] 雨は止み、やがて、霧も消え、うっとおしい靄も去ろうとしていた。




詩集へ inserted by FC2 system