『記念の緑scene022

 カッ!カッ!カッ!

---―――ハイヒールのものとおぼしき音が、リノリウムの床に響き渡る。それは控えめで、かつ、その存在感を主張していた。

ここは、夜の病院。巨大な蛍光灯は、無駄に電力を消費している。ここには、受付嬢以外、だれもいないのだ。しかし、広大な空間に、明かりはとうとうと行き渡っている。ここは、彼女ひとりのための空間にしては、あまりに広すぎる。

「沙織!」

「・・・」

石田御幸は、親友であり、同じバンドのメンバーである安藤沙織を発見した。

「あまり大きな声を出すなって、ここはそういう種類の病棟なんだ」

「どうして、私をこんなところに呼び出した?それもこんなときに」

既に、零時を越えている。御幸は、特別なカードとキーワードを示すことで、入ることができたのだ。それは沙織から渡されたものであるが・・・・・。

 

 ホスピタルのような、何時、何があるかわからない病棟では、夜中の来院を認めることがある。そのようなときに、家族などには、カードと特別IDを支給している。それを示すことで、来院が可能になる。

 御幸が予め、渡されたのは、そのようなカードだった。

 

 沙織は、夜陰に御幸を認めると開口一番にこう言い放った。

「こんなときだからだ。お前には知ってもらわねばならないことがある。喉に支えた骨を取ってほしい」

 

「むぐう」

御幸は長い髪を掻きむしって、へんなカオをした。この親友か家族の前以外では、とうとていしない表情である。

「沙織?」

沙織もまた滅多にしない表情を浮かべていた。それは顔一面に凍り付いていると言って言い。

「だれか、お前の大事なひとに何かあったのか?」

「そうだ、そして、お前もよく知っている人物だ」

「事故じゃないよな、ここは救命病棟じゃないし・・・・ホスピタルだよな。なんで、いまになって報せた?」

この病棟には、嘗て御幸の曾祖父が入院していたことがあった。もう二十年も前のことになる。当時、御幸は四歳にすぎなかった。

 --―――憶えているのは、曾祖父の笑顔と、もらったチョコレートのことだけだ。

 御幸ほどの記憶力でも、このていどにすぎない。ふつうの幼児なら、そのことさえ憶えていないだろう。ちなみに、チョコレートの味だけでなくて、メーカーや砂糖の量さえ記憶している。パッケージを正確に再生することも可能だろう。

 

「・・・御幸」

沙織は、すこぶる心配そうな顔をした。御幸にはそれが理解できなかった。彼等がやっているバンド、Father landは結成以来、三年、日本のロック史に輝かしい金字塔を打ち立てたのだ。

そして、明日、彼等はヨーロッパに行く、もちろん、観光のためではない。仕事のためにいくのだ。

 アメリカで認められることはFather landが望むことではなかった。何よりも、世界でもっともレベルの高い音楽を配信している、ヨーロッパに認められることが夢だったのだ。そして、いま、それが叶おうとしている。

 心配なぞ何処にもないはずだった。御幸は、まだ23歳のみぎりにて、全世界を手に入れそうな錯覚に陥っていた。

 もちろん、それを錯覚であると認識する理性を失っていたわけではない。彼女はそれほどのバカではなかった。

「沙織行こう、彼女が待っている・・・・」

「彼女?」

御幸は、それが誰なのか検討がつかないままに、ぱさぱさと歩く沙織の後に付いていった。

 

 

 

 病室は、二階にあった。そこは癌専用のホスピタルで、キレイな中庭を見下ろすことができた。今は、真夜中だったが、木々に施された電球が色とりどりに輝いていた。そのために存在感を示していた。

 それは、入院患者のこころを癒すためにあるのだろう。御幸は回廊を辿りながら、思ったが、いま、彼女は立ち止まることは許されない身だった。天下統一をかつて目指した信長のごとく、ただ未来だけを見つめるだけだった。

 

「ここだ、御幸」

「うん」

ばたんと扉が閉まる。

------―――――そこに寝ている人物・・・・。その人物の周りには、彼女の家族とおもわれる一団が囲んでいた。そのために、御幸にはその顔を視ることができなった。

 一団は、しかし、いっせいに御幸のほうを見た。

「・・・・・」

御幸は、おもわず恐縮した。わけがわからなかった。どうして、ここにじぶんが招かれたのか・・?

 「おい、沙織、・・・・!!!」

沙織に質問しようとしたとき、彼女の顔が見えた。そのとたん、御幸は驚愕に震えた。それは見てはならない過去だった。記憶の底に眠っていなければならない事実だった。いや、できるなら、記憶から打ち消してしまいたい過去だった。

 御幸は、衝撃を・・・まるで銃で打ち抜かれたかのような衝撃を受けた。いっしゅん、ヨロケたが、かろうじて二本の足で立つことができた」

「き、きむら・・・木村さん・・・」

呼び方の変化は、その歴史を示していた。

ベッドに寝ていたのは、ひとりの女性だった。頬は痩けて、眼窩は窪んでいたが、目の輝きは失われていなかった。それらは、かつてのかわいらしさを偲ばせた。

 女性は、御幸を発見すると、いかにも楽しそうに微笑んだ。じっと立ちつくす御幸に語りかけた。

 

「ぁ・・・御幸さん・・・わたし、ファンなんだよ・・・ぁりがとぅ・・」

 

-------――――――それは、彼女のさいごの力だったのだろう。それを振り絞った。さいごの力をすべて、御幸のために使っているのである。

 彼女は言い終わるなり、小さな頭をカクッとさせた。そして、その後意識を失った。

「あ。愛!!」

「愛!!!!」

「わーーー!早く、先生を」

家族とおぼしき周囲のひとたちは、いっせいに騒ぎ出した。ドクターと看護婦が、人波をくぐって女性にたどり着いた。

 その声は、その部屋のだれにとっても、それに見えた。

---------――――死刑の告知

「ごリンジュウです」

若い医師は言った。何処にもある丸メガネが、彼の匿名性を示していた。

「・・・・・・・!!」

声。声にならない嗚咽。病室の空気は震えていた。

「御幸、わたしらは行こう・・・」

「さおり・・・・」

御幸は、呆然と立ちつくしていたが、のこされた理性を振り絞って。表面は冷静に、病室を後にすることに成功した。

 

 長い回廊を歩いた。しかし、それは随意筋によるものではなく、非随意筋によるもののように思えた。

 まったく感覚がなかった。

階段を下りて、中庭に到着する。イルミネーションがふたりを迎えた。緑色の光が、何故か目に付く。

 

 「さ。沙織!!」

御幸は、爪を立てて、沙織の胸にしがみついた。季節は冬、厚着のはずなのに、胸に痛みが走った。

「今は、何も言うな・・・ただ、目の前に起こったコトを咀嚼するだけでいい、そのために私を使えばいい」

「・・・・・・」

そのとき、御幸の目がカッと見開いた。そして、沙織を殴りつけた。それは未消化の食物を吐き出す行為に似ていた。

---------――――処理不可能な感情が、ただ、沙織に向かって吐き出されていた。

何処をどう殴ったのか、記憶に定かではない。ただ、体内の何か熱い物質が反応して、いくらかの筋肉の始動があったことは事実である。

 

----――――――――――――――――。

「はっ」

御幸、中庭に倒れている親友を発見して、はじめて、じぶんを取り戻すコトに成功した。

「沙織、おい、」

「うん?冷静になれたか・・・・じゃあ、話そう」

「待て・・・おい、沙織、わたしを殴れ、借りは作りたくない」

「まるで男子高校生みたいなことを・・・・・お前はそんなキレイなもんじゃないだろう?・・・ふふっ、仕方ない」

沙織は、御幸の頬めがけて、細腰を回転させる。自然に、拳が流麗な曲線を描く。とくべつに武道を学んだことがあるわけではないが、その手つきは、きわめて合理的で、相手を倒す目的に適っている。

 

「・・・・」

音もなしに、地面に倒れる御幸。時間の感覚がなくなっていた。看護婦が、そのとき回廊を移動したが、ふたりは闇に紛れて発見されることはなかった。

 

 

御幸は仰向けに倒れるとそらをみつめた。

星々は華麗に転がっていたが、それを安易に形容する気にはならない。

「沙織・・・・・」

「わかった。話すから、こっちに」

沙織は、星空のベンチに誘った。

「まず、お前に謝っておかねばならないことがあるの」

彼女のことば使いが変化するときは、かならず何かあるときだ。

「わたしは、あのときから愛と交友があったのだ」

「木村さんとか・・・・・それは現在完了継続というわけだな」

わざとそのような物言いをする。それは御幸なりの精神安定の方法だった。

御幸の頭のなかでは、苦い記憶が再生されていた。

 

 --―――――――――御幸は、当時中学生だった。

 ---―――――――いま、彼女はあるものを踏みつけにしている。それは、ふつう、人間が踏むものではない。

「うーーーーん?」

御幸は、確かめるように足に力を入れていく。

「ううう・・・ぅう」

なんと、踏みつけにされているものは、声を出した。それはものではなく、人間だった。人間の女の子だった。名前を木村愛と言った。

周囲の同級生たちは、きゃきゃと笑っていたが、御幸はいっさい感情をあらわにしない。ただ、無表情のうちに残酷な行為を続けていく。

 「ぅ・・・ぅううううぅぅぅぅ・・・」

愛にとってみれば、それが一番恐ろしいのだった。まわりの笑っている女の子たちは、ただひたすらに恥辱しか与えないが、御幸から与えられるものは、ただ、単純に純粋な恐怖だった。

 御幸は、どうして彼女をいじめるようになったのか覚えていない。ただ、覚えていることは、いちばんさいしょに出会ったときのことだ。

-----―――――中等部に入って、その日新しい教室にて彼女にこういわれたのだ。

「ごきげんよう・・・・木村愛って言うの、これからよろしく」

御幸は、その当たり前のような笑顔が気に入らなかった。ごく当たり前のふつうの女の子を振りまいているのが許せなかった。

 いっぽう、愛にしてみれば、御幸を目の前にして完全に圧倒されていたのである。そもそも、その容姿、たたずまいなどが常人ではない。漂ってくるオーラーは、彼女が只者でないことを示していた。

 だから、「ごきげんよう・・・・木村愛って言うの、これからよろしく」と言えたのは、ほうぼうのていだったのである。

----―――しかし、もしも、教室に入って、はじめて御幸にあいさつしたのが、愛でなかったらいじめられることはなかったかもしれない。

 御幸は、この少女の、ごく普通であることに嫉妬した。

すくなくとも、外見上はこの少女が、何も苦悩がないように見えた。それは御幸だけではなかった。

かわいらしい顔に湛えられた、満面の笑顔は、それを示しているように思えた。

 

この少女が、ばらまいている普通の女の子に、激しい敵意を示したのである。それから、二年次になって、沙織に出会うまで暴力的かつ陰湿ないじめが、この少女に行われたのは周知の事実である。

 

「愛が私に接近してきたのは、あのことがあってすぐのことだった。彼女はだいぶ傷を受けていて、誰も信用できなくなっていたんだ。手のひらを返したように、態度を変えた傍観者たちには、特にね・・・」

「私は、あのとき謝るべきだったのだろうか・・・・・しかし、彼女は大変怯えきっていたから」

「だから、私も時を待つように言ったのだ・・・・そのうちに卒業してしまったが・・・」

「その間に彼女を勇気付けていたのは、沙織だったのか・・・・・影ながら元気を取り戻したように見えたが・・・―――――――」

御幸は、当時の木村愛を思い浮かべていた。彼女は友達と笑っていたが、以前の彼女ではなかった。あの天真爛漫な笑顔はあさっての方向に、飛び去ってしまっていた。

 そして、御幸を見つけるとおびえて去っていった。

 

 「私が殺したのも同然なのか・・・」

ぽつりと思い出したように言った。

 

「いや、あいつの病気はおまえのせいじゃない・・・それに、お前のファンだったんだぞ」

「もしかして、Bloodが私だと知らなかったんじゃないか」

「お前のようなカオがこの世にふたつあってたまるか」

「じゃあ、知っていたんだな」

沙織は、すこしふざけてみたが、無駄だった。御幸は思っている。明らかにじぶんのせいで、沙織は、対人不振に陥り、しいては、不治の病気に陥ってしまった。

「それは誤解だ・・・たしかにあのときのお前の存在は、愛にとって障害となっただろう、しかし、その後のことまで言うのは、あいつに対して失礼だ」

 「あのあと、何があった?お前は知って居るんだろう?それをすべてはなせ」

「そんなことしたら、一週間はかかる」

「とりあえず・・・・―――――どうして、あんなことを言ったのかわからん」

「内容はわかるだろう?それだけで十分じゃないか、あいつは、最後にお前に会いたがった・・・・そして、それは叶った。それだけでじゅうぶんじゃないか」

「たしかに満足そうな顔をしていた・・・・しかし、一言言いたかった」

「わかるさ」

「今度のライブで、すべてそれをはき出せ」

「・・・・沙織、いったいどんな意図を持って今度の行為に及んだんだ」

-――――――――――お前ほど論理的なヤツがか?」

沙織は、御幸の口まねまでしてみた。

「お前の言いたいことはわかる」

「・・・・・・」

沙織は一呼吸おいて、話しだした。

「これだけは事実だ。あのあと、あいつはお前が見たような人生をおくったのだし、お前を許してもいた・・・それがあの台詞だったんじゃないか」

ふたりは、いつまでも星々が降り注ぐ、中庭がいた。

「ここは規模は違うが、あの学園に似ているな」

「もはや、ないがな・・・」

誰かが最後に苦笑した。もう、後戻りはできない・・・・。それは旅の始まりだったのかもしれない。


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