『記念の緑scene018

 

 ----―――夜の街にちらばるネオンサインたち。子供のころは、それが宝石に見えたこともあった。しかし、いまの御幸には、そのような心境には達することはできなかった。

―――車は、東名高速を関東に向かっている。

「いかがしたものか---――――」

御幸は、見事なハンドルさばきを見せながら、空を想起していた。

いまは、レイを大阪の病院に送ってきたところである。

「あの少年は一体、何を悩んでいるんだろう・・・いくら親友が死んだからって、あれほど悩むことはあるまい」

-----――――義之のことを語るレイを見ていると、あまりに自分を責めているように見えた。

御幸の頭の中では、三角形の構図が浮かんでいた。いま。彼女が存在している情況のことである。

 石田典介、御幸の父親であり、伝説の編集者である。

最上義之、レイの親友であり、故人である。レイは彼の死を自分のせいだと責めているようだ。

芥川賞受賞作『記念の緑』。

これらを頂点とする三角形がすべてを言い当てているように思えた。

 かつてスタジオにて、レイたちが残したCDを聞いて、その音楽センスに惚れ込んだ御幸は、レイとAlfredを得ようとした。将を射んとするならまず馬を射よという格言に基づいて、義之に近づいたのだった。

「まず、父親か・・・あいつは仕事の話しはしないしな・・・」

眼下に、街の光が流れていくのを見た。たぶん、静岡あたりだろう。静岡には御幸も記憶がある。小さなころ、静岡市に従姉妹が住んでいて、泊まりに行ったことがある。

「田んぼしかなかったな・・・・あれが県庁所在地なら、静岡というのは救いがたい田舎だったんだな、いまはどうなんだろう」

 御幸には、ネオンサインの群れがかつて見た蛍に見えてしかたがなかった。そう思うと、無機的な夜景も、美しいものに思えてきた。

「ひとの群れはひとの群れ・・・蛍の群れは蛍の群れか、」

御幸は、ほとんど無意識にカーオーディオのスイッチを入れた。たまたま入っていた音楽データーが再生される。

-----――――――ピアノの小気味好い音が流れてくる。ジャズだ。    

「デューク=エリントンかセロニアス= モンクか・・・」

ジャズでピアノと言えば両者しか知らなかった。まるで、夜の海にきらめく海面。それが、ジャズピアノにたいする御幸の素直な感想だった。しかし、ジャズについてはほとんど知らないに等しい。

しかし、演奏家や作曲家の心とでもいうべきものは見えてくる。御幸のばあい、基本的に作曲家の声のほうが聞きやすいが、それは彼女じしんが、作曲家であり、作曲という言語を使って、音楽と交わっているからであった。

―――基本的にジャンルは関係ないと思っている。御幸には、マイルス=デヴィスがどうしてあれほど、新しいジャンルを創設することにこだわったのか理解できない。人間、何をやっても彼じしんから離れられるわけはないからだ。

「もしかして、マイルス=デヴィスという人間は、最後まで自分を表現するのが怖かったではなかろうか・・・・」

 そのように御幸は思ってしまう。

――――御幸はそのような新しいジャンルのようなものは気にしない。邦楽に目を付けたのも、何か楽しそうだったからだ。純粋なロックならそれでもよかった。なんてことはない。おんがくなどというものは、結局音階にすぎない。それぞれの音階が、どれほど音楽家の意志どうりに動いてくれるかである。

-----――――――夜景が目にしみる。御幸は、眼下におさめた焼津を睥睨した。車を止めたのは、疲れたからだ。

 それに本を読みたくなった。たまたま、助手席に置いてあったのは、文庫本だった。

それは御幸にとって、読み解くべき三角形の頂点のひとつである。

『記念の緑』

最上義之著。

日本坂SAで、たまたまあいていたレストランに、入る。まるで寿司屋のような雰囲気に驚いた。店構えに対して、平行なカウンターは、まさに寿司屋そのものだった。

 御幸は、みかんパンなるメロンパンの兄弟を注文した。御幸の小さな口では、食べにくい。無数のかけらがこぼれた。

――――もちろん、サングラスは欠かせない。

 

御幸は、文庫本を開く。夜の明かりにサングラスは読みにくいが、しょうがない。しかし、いつのまにか、御幸は本の住人になっていた。

------―――――作品は佳境に達している。

 作品は、転校生を迎えるところから始まる。その情報は一週間ほど前に、生徒のうちに流れていた。そのクラスのリーダー格の少女は、架空のいじめを作り出して、転校生を試そうとする。

―――――そこに落とし穴があった。転校生は、いじめに乗ってしまう。そこまでは、リーダーの思うままだった。しかし、クラスメートは転校生についていってしまうのだ。それは計算外だった。実は、架空のいじめの対象は、リーダーの少女だったのである。彼女に対するいじめは、やがて、苛烈を極める。

――――――転校生が、自分を取り戻したころには、ほとんど自殺直前まで追いつめてしまっていた。

 ふとしたことで、転校生はじぶんがだまされていたことを知る。それは、転校生が目を醒ますきっかけとなる。彼女は、転校する前まではいじめをまったく知らずに育った。そのような温室で育った花のような少女。彼女にはあまりに劇薬だったのである。

―――この少女とリーダーの少女が友情を結ぶに当たっては、まさにストーリーの極みである。

―――じぶんをだました張本人、そして、目の前でぼろぼろになった少女、しかもいじめに加わっていたのだ。

 怒りと罪責で少女は、まさにのたうち回った。

その後、めでたし、めでたしとはならなかった。いったん、いじめの快を憶えた子供たちは、それを簡単には忘れられなかったのである。あたらなるいじめのリーダーは、ふたりを引き離すことを画策する。もちろん、いじめの対象は、元リーダーの少女である。

―――――しかし、それは成功しなかった。ふたりの絆は確たるものがあった。そこで、しかたなく、ふたりをいじめの対象とすることになった。しかし、それはさらに過酷ないじめを招聘することになった。

 新たなるリーダーは、とんでもないことを考えていた。ふたりを全裸にさせると、ボクシングのグローブを填めて互いを殴らせた。

「ふうん、やりたくないの、そう?だったら、これで注射しちゃおうかな?ふたりともこのごろ体調がよくないみたいだから」

 少女は、そう言うと、コンパスをひとりの少女の首筋に当てた。そうなるとやらざるを得なくなった。

―――そのような絶望的な学校生活のなか、ふたりは互いを励まし合って、なんとか乗り越えることに成功した。しかし、さらなるいじめ、それに転校生をいじめ側に引き抜こうという画策・・・・に完全に疲れ切ってしまった。

――――少女は、転校生にその話しに乗るように言った。しかし、転校生はそれを拒否した。

―――まもなくである少女が自殺したのは・・・・・。

転校生は、二冊のアルバムを持って泣くだけだった。それはふたりだけで卒業しようと創ったアルバムだった、少ないこづかいで、ふたりだけのアルバムを創ったのだ。

それは『記念の緑』という題だった。

――――もう少しで卒業できるというところまで来たのである。二人だけの卒業式も計画していた矢先のことだった。

転校生は、もはや、他人を恨むことすらできなくなっていた。そんなエネルギーは残っていなかったのである、彼女は、二冊のアルバムをしっかりと抱いて、夜のネオンサインにむかって飛び込んだ。

 ―――――たまたま、現場作業員が発見したとき ――――――――少女は、二冊のアルバムをしっかりと抱いていた。

 

 -----―――――御幸は、古傷がえぐれるのを感じざるを得ない。それも、被害者ではなく、加害者側としての傷痕である。防ぐことは十二分に可能であったはずだ。

「もしも、沙織に出合わなかったら、彼女を殺していたんではなかろうか」

それは御幸の素直な感慨である。

 車のフロントガラスには、あのときの影像が映っている。それは、当時の御幸の視線そのものだった。

----―――御幸自身の足が見えたと思ったら、それは、少女の頭を踏んづけていた。

御幸は、すべての忌まわしい記憶が再生されるのがわかる。

----――――――――少女は苦痛から逃れようと蠢く。その動きと温度は、御幸の脚に伝わる。その温もりが、なおさら御幸の嗜虐心を刺激するのだった。御幸じしん、そして、周囲から、異様な笑い声がわき起こる。

 サディズムの衝動は、じぶんでは押さえきれないところまで行っていた。じぶんでは癒せない内部の疵を疼いていたのだ。

 疵からは血が流れているのにも、かかわらず、それをどうしたらいいかわからないまま、衝動を外部に向けた。それがいじめという形に成り代わった。それを見抜いていたのは、新しいクラスメートだった。

――――この世で、もっとも強大であると仮想していたじぶんだった。驚くほどに冷めていた。馬鹿ではない御幸は、誇大妄想狂にすらなることはできなかった。

それにしても、みんなが、彼女をそう思っているはずだという自負はあった。

「こいつらは馬鹿なのだ。だから、こんなじぶんを神だと崇めたてる」

かつて、沙織にそう言ったことがある。

突然、出現して、すべてを見抜いてしまった安藤沙織。

もしも、彼女に出合わなかったらと思うと、御幸は空恐ろしい気持になるのだった。

 

 

 沙織はあれ以来、まったくと言って良いほど、その話題を振ったりはしない。何でも腹を割って話し合った仲であるが、それだけは不明のまま残っている。

 

 

 

 

 

 

 


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