『記念の緑scene015

 

 

レイこと、北周一郎は、大阪の病院に入院している。

ここは、関西の精神病院としては、最大のベッド数を誇る聖ベロニカ医院である。

精神病院と聞けば、だれもが、厚い壁と鉄格子を思い出すだろう。

―――――レイはしかし、鉄格子に閉ざされた第三東病棟に押し込められているのではない。

 彼がいる病棟は、第二南である。そこは飛行機で言えば、ファーストクラスに当たる病棟だった。

 料金も最高級なら、サーヴィズも超一流である。大物芸能人や一流企業の重役連中とその家族たちが、よく利用している。

しかしながら、いくら金回りがいいからと言って、そう簡単に入れるものではない。レイは、ここの病院のオーナーであり、院長である犬嶋正沖と親戚関係にあるために、入院できたのだ。

正興は、日本では有名なユング派の心理学者でもある。臨床家としても一目置かれる存在である。特異な理論を主張するために、敵も多いが、支持者の層も厚い。

いつも子髭を蓄えているので、子髭先生と言われていた。

精神医学界の重鎮。それが彼に与えられた名前だった。彼は別に聖人ではなかったので、それも満更ではなかった。

 彼の肝いりなのだから、特別待遇は当たり前のことである。

「兄ちゃん、どうなんや、あの子は!?」

北愛太郎が叫んだ。彼は、レイの父親で、院長の弟にあたる人物である。レイが外泊中に行方不明になった件で、話しに来たのだ。母親と高速をドライブ中に、突如としていなくなったのだ。それは、大事件だった

 妻からの連絡で、突然、事態を報された愛太郎。

 驚いて急行してみれば、病院に戻っているというではないか。詳しい事情を聞きたいと思って、兄に会ってみたものの、梨の礫だった。正興じしんも詳しい事情を聞いていないということだった。

「周一郎が帰ってきたんだからいいやないか」

「兄さんは、それでも医者なのカ」

愛太郎は食い下がったが、まるで暖簾に腕押しだった。それならお前が直接会って確かめてみればいい。兄はそんな様子だった。

ここは、院長室、正興の仕事場である。正興は白衣に身を包んで威儀を正している。白衣を着るとこの兄貴は、人格まで変わってしまう。

昔から、こうなると兄が苦手だった。

 正興は、子供のころから医者になることが夢だった。しかも精神科医である。小学校の卒業文集にそれを書いたというのがから、まさに、『おそるべき子供たち』である。一般的に、小学生ぐらいの子供が医者になりたいと言ったら、一も二もなく外科医と答えるだろう。

――――――――――、それが精神科医である。

 この兄は、子供のころから、医師という夢の話になると人格が換わってしまう。それが苦手だったのだ。

 ―――――――――。病室は、よくあるように白で統一されている。カーテンから細かい装飾まで、その統一感はかえって、邪悪な意思を明らかにしているようにさえ見える。

「愛太郎、しばらく見守ってやりや」

正興は、それだけ言うと退室していった。

「・・・・・・・」

もはや、とりつく島もない。愛太郎は、ただ、黙って座っているしかなかった。窓の外で小鳥が鳴いたが、彼はまったく気づかなかった。

 

 ――――――――――――――――。

 四方から陽光が入ってくる明るい部屋。何処か、聖堂のような雰囲気。それは、ここが社会から隔離された世界だからかもしれない。大量生産、大量消費の忙しい世界とは、明らかに違う時間がここにある。

ここはこの病棟のデイケアが行われている場所である。デイケアとは、精神的疾患から立ち直りつつあるひとが利用する一種のコミュニティのことだ。

 

当然、この病棟のデイケアには、非常識な待遇が用意されている。映画館と見まごうばかりの巨大スクリーンが掲げられている。いま、そのスクリーンを利用しているのは、腰の曲がった老婆の他には、ひとりの少女だけしかいなかった。

―――――――――――。

 レイだった。一見するとほとんど中学生の女の子ぐらいにしか見えない。その華奢な上半身は、どう見ても女の子のそれだ。しかし、下半身をよく見てみれば、その解剖学的所見から、男の子であることは、専門家でなくても明白なはずだ。しかしながら、彼から何か、空気のようなものがわき起こってくる。それからは、明らかに少女を感じさせる何かが感じ取れるのだった。

―――。レイは、ほとんど無表情に、画面を見ている。機器としての目は、影像を分析はしているだろう。しかし、それを送られた脳は、それを解析することを拒否している。

「ァ・・あ、眠いナ・・・・。」

レイは欠伸をした。

 ――――――――――――――。

欠伸は、しかし、そう長く続かなかった。スクリーンに目を奪われたのである。正しくは、スクリーンに投影されている影像に惹かれたのである。

――――――――――――――。

Skeltonさん・・・・いや、沙織さんか・・・・」

スクリーンを支配しているのは、ひとりの女性だった。演技は荒削りだが、その存在感は、他を完全に圧倒しきっている。

 それは、ある評論家の意見である。俳優評では厳しいと有名な田山指袋氏が、ある文芸雑誌で述べていた。

――――――――――――――。

「お市の方・・・・?」

沙織が演じているのは、あの信長の妹であるお市の方だった。NHKの大河ドラマの再放送である。

 ドラマが始まるまで、おおかたの外野たちは、まだ見ぬ間だから酷評の嵐だった。一流と言われるヴォーカリストととは言え、ろくに訓練も積んでいない以上、若いアイドルと変わらないではないか。いや、下手にプライドがある以上、アイドルよりも使いでが悪いのではないかと吹聴しまわった。

――――――――――。

しかし、蓋を開けてみれば、沙織の演技力と存在感は評論家たちの舌を巻かせるのに十二分だった。たしかに、演技面から見れば達しない部分もあったが、それは、有る意味当然のことだった。

「沙織さん、キレイだ・・・・・あのひと、女の人だったんだ」

レイは当たり前のことを言った。しかし、レイの感想は、万人のそれを共通するところなのである。かつて、ロックバンドfather landにて、男顔負けの勇姿を披露したときとは、まるで別人だった。

 ―――――――――――。妙なる麗人・・・・・。ドラマの中における沙織のイメージ。それが第一印象だった。日本史上、まれなる才色兼備として有名なお市の方。それゆえに人気も高いのだが、沙織が演じるお市の方は、いままでのどの美人女優が演じたのよりも、高貴を極めているように思えた。それは、しかし、演技力という面ではない。

 ――――――――、それは、あくまで、安藤沙織という人間に本来備わった、天性のものようだった。   

 いま、沙織は、ちょうどドラマが佳境の場面を演っている。お市の方、人生最後の場面である。柴田勝家とともに、城を枕にして滅びる決意。せめてもの、三人の娘との別れのシーンが進行していく。

「これは沙織さんの本質じゃないな・・・演技か・・・なかなか母親に見えるじゃない」

レイは演技には関しては素人ながら、見極める能力があった。

ロックミュージシャンが、ステージで見せる姿は、演技ではない。本人の真実の姿である。そんな彼女から母性を感じたことはなかった。

―――――――――――。しかし、いま、目の前に展開しているのは、明らかに母性の彫刻とでもいうべき、お市の方の姿だった。

―――――――――――――――。

「周一郎」

「・・・・・?」

いっしゅんだけだが、沙織に目を奪われていたレイは、反応できなかった。背後に正興がやってきたことに気づかなかった。正興は、白衣のポッケに両手を差し入れて、胸を張ってレイを見下ろしている。その姿勢のよさ、あるいは、肌の艶やかさなどは、年齢よりも10歳は若く見える。弟である愛太郎よりも若くみえるぐらいだ。

「ちょっといいか?」

「・・・・・・」

「身内や。診察とかしこまらなくてもいいやろ」

「おじさん」

正興は、レイの右側に座った。足を組んで、肘を膝に当てて、顎をしゃくる。

「『救世の姫君』じゃな・・・俗な題名だと思っとったが、この女優なかなかいい。新人かい?この年で」

若く見えるとはいえ、50歳を超えているのだ。若い世界が好む芸能世界などは、皆目検討がつかないようだ。精神科医とは言え、それはどうかとレイは、思ったが何も言わなかった。

「周一郎、いいかげん、病気のフリはやめたらどうや」

「・・・・・・・・・」

「図星やろ」

「なら、病気なんですよ。病気のフリをするのも病気なんでしょう?精神医学的には」

「ひっかかったな・・・いかに賢くとも、子供やな」

正興がカカと笑った。

「ま、好きなだけいたらいい・・・ほらな・・・診察があるんでな・・あ、言い忘れとった。あまり心配かけるんじゃないとよ」

笑いながら、正興はだだっ広いロビーを抜けて、奥の部屋へと消えていった。

 残されたレイは、すくっと立ちがあがった。スクリーンを見る。そこには、炎上する北ノ庄城が写っていた。あの中には、お市の方と柴田勝家と、無名の骸たちがいたはずである。もちろん、フィクションの上ではあるが・・・・。

 



 


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