『記念の緑scene014』
『記念の緑scene014』
小牧ICから名神高速を1時間30分。ここ、大津ICからは、琵琶湖を一望できる。時刻は、6時53分、まだ朝の匂いが濃い。
石田御幸と北周一郎は、パルマーニから出ると、ひさしぶりに外の空気を楽しんだ。
風景に親しんで見れば、琵琶湖に出会った。レイの言う“大きな水たまり”である。彼はあまりに無頓着だったが、御幸はサングラスをはずすことはできなかった。有名人の苦悩きわまれりである。琵琶湖の美を堪能する機会を奪われた。レイはというと、そんなことお構いなしに、中空散歩を楽しんでいる。まさに足が地についていない。そのことが手に取るようにわかる。御幸は心配でならなかった。
「まるで、海ですね」
水平線を眺めながら、レイは言った。それは独り言のようだった。湖からわたってくるせいなのか、風には、川魚の匂いがした。
「御幸さんは釣りをしますか?」
「いや」
「イワナやヤマメが、琵琶湖にいるとは思えませんけど、おいしいんですよね、海の魚と違って、淡水の味がするんです、―――――――――川の石って丸いでしょう?そんな味がするんです」
レイの目はまさに少年のそれだった。月並みな表現になるが、まさに輝いていた。
「周くん、いや言いにくいな、周一くん・・・・これが呼びやすいか」
「周一でいいですよ」
「じゃあ、周一、そろそろ帰らないか?病院まで送っていく」
「幻滅ですね、普通の大人みたいなコト言うんですか」
「これでも二七歳だぞ、きみだってもう子供じゃあるまい」
「じぶんで帰れますよ、御幸さんに迷惑はかけません」
「そんなこと言ったって、金持っているのか、それに寄生虫が・・・」
「マスコミのことですか?もしかして、義之もそう言って・・・」
「どうした?周一?」
とつぜん、ガクッとなったレイは、柵に両手をついた。美貌を両腕の中にうずめて、苦しみ出した。
御幸は、レイの肩に手を回すと柵に座った。
御幸の温度がじかに伝わってくる。レイの心臓が鼓動を早めた。
ドキドキ・・・。
亡き義之に対する思いと御幸に対する憧れが、交錯して何がなんだかわからなくなった。頭の中が過熱して、理解できない涙が長いまつげを重くする。
「深いことはわからないが、どうやらきみに必要なのは、病院じゃないな」
「この世界に長くいると、そういうやつらが多くでてくる。薬物やアルコールに依存したりするタイプだ。そういう連中とも関わり合いが、あるが、彼等から感じる空気を、きみに感じることはできない」
御幸は、琵琶湖に集中する視線を、わずかながら移動させながら、キシリトールのガムを口に、放り込んだ。
「・・・御幸さんは、煙草をやらないんですか」
レイは、わざと話題を変えようとした。
御幸はそれに乗ってやる。
「吸ったことがない。吸った方がよかったかもしれないな。声もつぶせたかもしれない」
「とても綺麗な声ですよ」
「―――、こんな女子中学生みたいな声、私はきらいだ。そのせいで、好きな音楽が何年経ってもやれない。ジャニス、ジョップリンって知っているか?彼女はたしか煙草と薬物で声をつぶしたんだってな。こんな声なら、つぶしたほうがいい」
「御幸さんは音痴だって、言ってたんじゃないですか」
「旧いことを知っているな・・」
「相当昔のクールズメイトです」
クールズメイトとは、ビジュアル系のロックバンドの専門誌である。表紙からして、歌舞伎並みの化粧を施した兄ちゃんが踊っている。本当に奇矯な雑誌である。
御幸が、その雑誌のインタビューにおいて、音痴だと告白していたのは、ちょうど7年前に当たる。ちょうどFather landが大型新人として、メジャーデビューした頃である。
「そんな昔のことを・・・・」
「Alfredが貴女のファン、いや信望者なんですけど、彼に見せて貰ったんですよ」
「懐かしいな、なあ、そろそろ本格的に朝がくる。車に」
カチカチ。
―――――――車の機器が作動する音。それは、ある種の目覚めを思い出させた。
御幸がハンドルを切る。駐車場から高速に入る。
グぉン。エンジンが始動した。
「チェーザレ 私は憶えています 母に抱かれし時のことを・・・・」
突然、車内に御幸の唄声が響き渡った。それは、彼女が言うように、少女のようなかわいらしい声だった。映画やテレビ番組におけるアフレコというのは、映像のプロでなくとも見抜けるが、ちょうど、そんな不自然さだった。御幸は、男性的な強さのイメージであり、その声とのアンバランスは不思議としかいいようがなかった。
「チェーザレ、兄上(アナタ)は、私を長いこと黙って見つめていた そして言いました 「久しぶり」って」
「すごい・・・。」
レイはひたすら驚嘆するしかなかった。いやしくも、じぶんがヴォーカリストであるなどと言えなかった。たとえ、アイドルグループにすぎなくとも・・・・。
その声量、リズム、すべてがリードヴォーカルのそれだった。たしかに、御幸のイメージと相反するのかもしれないが、一種の霊妙ささえ、備わっていた。レイは、その唄声に、魅惑され、時間の感覚を失った。
「これは、もしかして・・・五枚目のアルバム『Cesare』(チェーザレ)の3曲目に挿入されている曲ですよね、女性ヴォーカルで収録されていると記憶していますが、御幸さんが歌われたほうがよほど・・」
「私が歌ったら、バンドのイメージが崩れるな・・・・もっとも沙織も私もそのイメージというものにさんざん踊らされたんだが・・・。」
「イメージですか?それなら、僕たちもそうですよ。さんざんアイドルというピエロを押しつけられたものです」
「それに乗ったのは君らだろう?」
「まさに無垢だった17歳を、あんな世界に送ったヤツのことはいまでも憶えていますよ。僕も入るまえは、芸能界がこんなヤクザな世界だって知りませんでしたからね。この世界では、少年や少女に入れ墨をやるんですよ、一生消えないのをね」
「入れ墨か、なかなかおつな表現をするな、若いくせに」
「ロックの世界は違うでしょう?マトモに音楽やっているひとたちは」
「それほど変わらない。あるバンドのドラマーのせいで、罪のないアーティストたちが何人消えていったことか・・・、ま、彼等に実力がなかったからと言えば、それまでだが」
「そのドラマーって誰ですか?」
「私たちの世代では、公然の秘密だ・・・・あるドラマーだ」
レイは、目をつむった。そして、かねがね聞いてみたいと思っている疑問をぶつけてみた。
「立ち入ったことをお伺いしますが」
「何だ、他人行儀な」
「どうして、Skeltonさんは脱退なさったんですか」
「それはさっき言った。お互い、イメージに踊らされたんだ。それは私たちが望んだものであって、そうじゃなかった。当時、私は、すべてを率いるんだという意気込みと思い上がりがあった。そして、沙織も同じことを考えていた」
御幸は、ステージ上のことを思い浮かべていた。
男勝りに、大胆はパフォーマンスを繰り広げる沙織。それはバンドのヴォーカルというよりは、ほとんど前衛演劇の主役だった。ファンは、それを受け入れ、彼女を神のように祭り上げた。
―――――、しかし、神はもうひとりいたのである。
背後には、御幸が仁王立ちで立っていた。その姿はさながら鬼神のようで、カリスマ性のある存在感を放っていた。
バンドの後期では、ふたりの掛け合いと鞘当てこそが、来場の目的だったのである。しかし、それは諸刃の剣で、常に崩壊の危険を孕んでいた。
―――――――――解散。それはファンが何よりも聞きたくないことばである。
「あいつは、father landという概念を常に超えようと藻掻いていた。そして、私は、それに常にしがみつこうとした。それが今回の出来事の原因だ。ちなみに言っておくが、今回のことを言い出したのは、私だ。沙織は、私のことを思って、自ら脱退すると言い出したのだ」
「え?どうしてです」
レイは一ファンとして、おもわず声が出た。
「このことは二人しか知らない事実だ」
「どうして、そんな大事なことを僕に?」
「そして、このことをあと一人にも打ち明けようと思う。じっさい大事なのは、そんな内容のことではない。このことを知らせることに意味があると思う」
「もうひとりって・・・・・?」
「それは今度にしよう・・・あ、吹田ICだ」
車は、一般道に向かう。既に太陽は、天頂に達している。他の車に反射した陽光が、目に眩しい。
「これからは、この車の性能がかえって邪魔になるのだよ」
ひとり、文句を言いながら、料金所の守衛と握手する前に、御幸はサングラスをさらに深くかけた。
「念には念を入れないとな、おい、周一、サングラス」
御幸は乱暴に投げつけた。
札を渡して、釣りを受け取ると、車を出した。ふと、横を見ると、御幸は、静かに寝息を立てている少年を発見した。サングラスの下に、美しい目が光っている。
―――――、それを想像すると、かすかにたかぶる性欲を感じるのだった。
「寝る子は育つというが、もうそんな歳じゃないだろう」
独り言を、まるで呼吸のように、漏らすと、久しぶりに見た信号にほくそ笑んだ。たまたま、発見したBook offの駐車場に、車を止めると、紙と鉛筆を取り出した。紙は白紙だ。そこに何本も線を引いていく。フリーなのに、ほとんど平行だ、この先、一万光年書き進んでもくっつかないだろう。
その線は、五本あった。それが幾つも書かれている。それは五線譜を形成していた。
赤いオタマジャクシが何匹も、泳ぎ出す。御幸の手によって生命を得たいきものたちだ。それは音楽を為し、人のこころを打つ。
―――――――――――。もはや、彼女にとって時間は存在しない。そして、空間も存在しない。存在するのは、鉛筆を持った手。そして、その手に連動した宇宙だけだ。宇宙は御幸の手を通して、その唄声を記録していく。あるいは、御幸は宇宙そのもので、手が唄声を受け取っていく。
御幸じしんも才能や能力と言ったものが、どのようなものかわからない。あるいは人間などというのは、宇宙の飲み物を入れる器にすぎず、その許容量がすべてを決める。
そのように考えることもある。
才能や能力は、努力ではない。そもそも個人などという概念すら曖昧だ。そんなものは虚構にすぎない。
――――――――。じっさい、御幸じしん、努力ということをしたことがない。気が付けば勉強も運動もできたし、人間関係もうまくいった。別段、イニシアティヴを取ろうとしなくても、いつのまにか誰もが彼女の後ろを付いてきた。
まるで、御幸は、人間にふつうに備わっている五感のほかに、特別な能力を与えられているようだった。それに気づいたのはいつ頃だったろうか。御幸は、それを憶えていない。しかし、気が付くと、じぶんが特殊であることに気づいた。
「ねえ、ママ、あたしのDNAは46本の染色体で、できているの?もしかしたら一本だけ多いかも」
母親の鶴子は、9歳にもならない我が子がそんなことを言うことに、頼もしさともに、畏れを為した。
「どうして、そんなこと聞くの?御幸」
「みんな、どうして一度、聞いただけで笛がふけるようにならないの」
笛とはリコーダーのことである。誰もが、小学校の時に、孔を塞いだことがあるだろう。唾が溜まって、いやな臭いに悩まされたこともあるにちがいない。
その笛を御幸は得意としていた。ピアニストになるためには、三歳から、鍵盤に親しむことが必要とされるが、御幸は、そんな英才教育は無縁だった。
しかし、音楽の教科書を一瞥し、笛を試し吹きすること五分、この楽器を完全にマスターしてしまった。
後年、御幸の音楽性が邦楽に走るのは、笛と無縁ではない。
たまたま、回した番組がNHKの古楽を特集する番組を耳にした。その笙の音が、リコーダーと酷似していた。そのことが、御幸の音楽色を決定する出発点となった。
―――――――。特別な才能を示す御幸。
しかしながら、両親は、御幸にごくふつうの女の子を求めたのである。
「御幸はねえ、いつパパさんのおよめさんになるのよ」
そう言ってくれることだけを求めた。
「染色体が一本だけ、足りないのがダウン症って言うんだよ。馬鹿なんだって、テレビで見たよ」
「そんなこと言っちゃいけません」
「あたしはさあ、一本多いんじゃないの、だから、みんなと違うんだ。ママやパパさんや大人たちはみんなそう言うよ」
「・・・・」
鶴子は、この小さな口から、『染色体』や『ダウン症』ということばが出てくることじだいにショックを受けた。しかも、単なる受け売りではなく、その語義を、理解しているのだ。しかし、もっと気にするべきことがあった・
――――――――。
それは、御幸がひとと違うことを気に病んでいることである。
御幸の表面的な特別さに目を奪われて、ことの本質を見誤ったのだ。
そして、――――――――――――――――。
―――――――――――――。
「・・・・・・・・・・姉さん、御幸ちゃんまだ8歳でしょう?」
「・・・・・・・・・・いや。あの子は、化け物だから・・・・・・・・・・・」
鶴子は、妹、つまり御幸にとっては伯母にあたる人物と電話をしていた。この時の会話は、ほとんど、御幸には聞こえなかった。
このとき、御幸は風呂に入るために、用意をしていた。風呂はキッチンに隣接している。母親は、晩ご飯の用意をしていた。たまたま、妹から電話がかかってきたのだ。鶴子は、よもや御幸がそばにいるとは思っていなかった・・・・。
――――。いや、側にいたとしても、このように言ったに違いない。まったく悪意は無かった。それに、この単語『化け物』の前後にはそれなりのセンテンスが存在したのである。それを御幸は聞き取れなかった。
だからこそ、その単語は、後々まで御幸の心に深く突き刺さることになったのだ。その後、沙織と邂逅するまで、長いこと、彼女を苦しめ、母親との間柄を複雑にしてしまうことになる。
「化け物・・・・・か」
御幸は、五線譜をしまうと、古傷がうずく手で、レイの顔に触れた。そして、そっと撫でる。彼女は、目の前の少年にじぶんに近いものを感じていた。たしかに、沙織にそれは十分感じたし、癒されもした、しかし、彼女はいつのまにかライヴァルとなっていた。高め合う仲であっても、おなじコートでラケットを振るう仲間とはなることができなかったのである。
「どうしたんです?!」
レイは突然飛び起きた。
「何でもない」
御幸は突如として飛び起きたレイに、生命の光を見た。
「これからどうする。病院に帰るか」
御幸はAlfredを伴って来院したことがある。
「ここまで来て放り出すんですか」
「きみは未成年だし、このままだと未成年者略取という立派な罪になるんだ」
「僕が自ら乗ったとしても?御幸さんは疑問に思わなかったんですか?どうして、僕が高速を歩いていたのか」
「―――――思わなかった。たまたま邂逅しただけだ。それをきみが言わなかっただけだ」
「実は、高速を母と走っていたんです、突然、僕は母から逃げ出したくなった。そしたら、青いパルマーニが、車を抜きました。母はわりとスピード凶で、それが許せなかったんです。パルマーニを抜きました」
「それで、私を待っていたのか?私を視認できたのか」
「いえ」
「いえって、青のパルマーニが何台あるか知っているのか」
「何台です?」
「三台だ」
「日本で、ですか」
「世界だ」
「御幸さんだって、思ってもしかたないでしょう。それに、僕は直感的に御幸さんを感じたんです。パルマーニの青いボディに御幸さんを感じました。青って御幸さんて感じじゃないんですけど」
「私は何色だ」
「オレンジですね。それも温かいイメージではありせんよ。残酷なくらいに冷たいオレンジです」
「まるで、どこぞのSFアニメみたいなことを言う。それでどうしたんだ」
「車の扉を開けて、脱出したんです」
「お前、怪我しなかったのか」
「はい・・・」
レイは右腕の汚れを見せた。
「それだけで済んだのか・・・・しかし、きみのお母さんの車は何処に行ったんだ?連絡しなくていいのか」
「さあ・・・」
「さあ、じゃない、病院へ向かうぞ」
青のパルマーニはbook off の駐車場を後にした。