『記念の緑 SCENE013』

   

ブロォオオオオオ・・・。軽快な音を立てて、青のパルマーニは名神高速を西進する。

ハンドルを握っているのは、bloodこと石田御幸である。

 朝まだきの午前4時半。小鳥が目覚めかけた頃だ。御幸はまるでパイロットがつけるようなサングラスをかけて、愛車を疾走させている。

いま、ちょうど滋賀県は、多賀町にさしかかったところだ。残暑も厳しさが和らいで、紅葉の季節が近いころである。しかし、完全な紅葉には、まだ早すぎるのがもったいない。

  

このとき、少しでも見上げでもすれば、紅葉のはしりを楽しむことができたはずである。しかしながら、そのとき、御幸は愛車に跨っていた。それどころではなかったのだ。

「ここが、ドイツ・・アウトバーンだったらな・・・」

御幸はひとりごちた。アウトバーンとは、ヒトラー唯一の功績と言われる、ドイツの高速道路のことである。

「日本みたいに、制限速度なんかないもんな・・・あれは、ちょうど二年前か・・・欧州初ライブのときだな」

御幸が言うのは、father land最盛期のはなしである。当時、ワールドツアーがまさに成功を収めようとしていたときである。それはロックバンド、いや音楽関係者としてはまさに快挙であると言えた。

「日本語という特殊言語が、あいつらに受け入れられないのか?それともレヴェルが低いのか」

skeltonこと遠藤沙織は悩んでいた。海外進出直前のことだ。

「なんでもいいじゃん、それならあいつらにわかる言葉で唄えばいい」

御幸は、英語ヴァージョンの他にドイツ語、フランス語ヴァージョン、それにイタリア語ヴァージョンまで出した。その結果、六枚目のCD『受胎告知』は未曾有の成功をあげた。

当然のことながら、慣れない外国語で歌唱する御幸の負担は、想像を絶するものとなった。

しかし、彼女は根性で乗り切った。

 そんなとき、アウトバーンを走る機会を得たのである。

ちなみに、愛車に跨っていなかった。彼女に言わせれば三流にすぎないフェラーリだった。

F430、四人乗りである。

 ちなみに、ハンドルを握っているのは、当然、御幸。隣には、沙織。後ろには、フェラーリ社の役員、ピエロ=トスカナ氏。そして、現地音楽会社社長のアルフレート=ブレンデル氏が座していた。

 ブレンデル氏は、欧州ライブの立役者である。

実は、その彼が、フェラーリ社の役員と懇意にしていたのである。そのような案配で、フェラーリでの試乗が許されたのである。

――――――――――、本来ならば、栄誉と言ってもいい待遇だった。

しかし、御幸は不満だった。

 だから、隣の日本人に文句を言ったのだ。

「あーあ、愛車のパルマーニだったらどんなによかったか・・・」

次の瞬間、御幸はフェラーリ社の役員のことばに驚いた。

「すいませんね・・・ニホンのマリアカラスさんには、フェラーリはお気に召しませんか?」

「な!?あは・・・はは。ピエロさんは、日本語に堪能でいらっしゃったのですか」

声がうわずっていた。まさか、日本語は通じまいと高をくくっていたのである。

「くくく・・・」

沙織は、笑い声を押し殺すのに苦労していた。

「ピエロさん、bloodはヴォーカルではなく、ギターですよ。この不肖skeltonがマリアカラスの一八番を披露しましょう」

「しましょうって、この車内で?沙織!?」

「ベルリーニ歌劇、ノルマから・・」

車内に拍手が起こった。なんとも気楽な外人だと思った。なんと言っても、沙織はクラシック界出身なのである。学生時代から将来を嘱望されていた過去を持つ。

 クラシック声楽のパワーはほとんど音響爆弾と言ってもいい。マイクなしで、広い会場のいたるところまで響かせるのである。人間業ではない。

 それを狭い車内でやったら・・・。

御幸は、耳を防ぐことができない自分を呪った。

――――――――――――――――――――――。

――――――――――――――――――――――。

「あのときは死ぬと思ったぜ・・・鼓膜がほとんど使い物にならなくなった」

「そう?あんた芸術を真に理解する心がないんじゃないの?それでよくコンポーザーやってられるわね」

「・・・・・・・・・・」

これは後年のふたりの会話である。すべてをこれが語っていると言って過言ではあるまい。

しかし、気楽な外国人のふたりが、笑顔で帰宅したことも添えなければならない。

これが彼女たちのバンドの最盛期だった。

七枚目のアルバム『魔笛』も好評だったが、まもなく沙織は、バンドを脱退してしまった。以前に言ったとおり、彼女はひとりで悪役を引き受けた。そのことを知っているのは、御幸だけだった。

「いいわね、あいつらにも言わないのよ・・・」

あいつらとはあと三人のメンバーのことである。その後、沙織は、ひとり孤独な仮面を被ってしまった。あるいは孤高の仮面といってもいい。

仕事的には、大河ドラマの準主役をこなし、さらなる大役をも視野に入れられるまでになった。

 一方、御幸はどうかと言うと・・。

Arfredとレイとバンドを組もうとしたが、うまくはいかなかった。

「いくら、bloodさんの頼みでも、あいつと音楽やる気はありません」と言い張るし、レイはほとんど廃人同様だった。

 Arfredをつてに精神病院を訪れた御幸だったが、ほとんど相手にしてもらえなかった。

いま、やっているのは『シノイキスモス』という実験的な試みである。

若い人たちを集めて、バンドごっこのようなことをやっている。彼等からすると真剣なのだが、御幸からするとごっこにすぎなかったが・・・・・・・・・・。

 例によって、低音の美声を響かせるヴォーカリスト・・・。かなりの美男子である。彼は御幸の楽器になってくれるはずだった。

「ストラディバリウスの偽物はしょせん偽物か?」

御幸は焦っていた。ここに到るまで、彼女は、こう思ったのである。

「すべては自分が率いるのだ」と・・・・・・・・・。

だれもが、彼女についてくるはずだった。たしかに彼女が声をかければ誰でもついてくる。しかし、ついてくるのはみんな二流だった。

そんなことでは良い音楽はつくれないとやっと悟ったのだった。

 「うん?・・・・まさか」

音楽についての考察は、100メートル先の人影によって中止させられた。

「うそだろ!?ここは高速・・・」

だんだん人影は大きくなっていく。近づいていくにつれて、人影が少年であることがわかった。髪は長いが、骨格から言って少年にマチガイない。

――――――――少年は痩せていた。頬のこけ方から言って、相当の病人に違いない。

足下はフラフラしている。

 「外人?いや・・・レイ君か!?」

御幸が車を止めたときのことである。いっしゅんのことだが、少年が外人に見えた。しかし、よく見るとレイであることがわかった。それほどレイは面変わりしていたのである。

都立病院で出会ってからどのくらい経つだろうか。いや、そんなことを考えているばあいではない。レイは、高速道路の真ん中にいるのである。交通がすくない早朝とはいえ、飽危険なことに変わりはない。

「レイ君、はやく乗るんだ」

「・・・・・・・・・・・」

御幸は有無を言わせずに、車内に引きずり込んだ。その余勢を駆って、エンジンを機動させる。

(まるで、骨と皮だな)

御幸は、レイの腕を握った瞬間そう思った。同時に、その温度のなさにも驚かされた。

そして、少年の肋骨に、かろうじて支えられた肢体を抱き上げたしゅんかん、心の声を聞いた。

(カアサン)

それは音声ではない。あるいは、御幸の錯覚にすぎなかったのかもしれない。

「いったい、君はどうしたんだ・・・・ここが何処かわかっているのか。死ぬつもりだったのか」

「・・・・・・・・・」

御幸はじぶんの神経を落ち着かせるためにも、何かことばを発したかったのである。しかし、返事はない。座席にもたれかかったその姿は、生くる死体を思わせた。だが、その姿は、御幸の審美神経を刺激した。

――――――――、白皙の美少年。

 使い旧されたことばが頭をよぎる。しかし、その造形の完璧さは、目を見張るものがあった。肌は、白く病人然としているにもかかわらず美しい。

「病院から抜けだしてきたのか?」

「や・・・・やめてくださぃ」

レイはそのか細い手で、御幸が取りだした携帯を奪い取ろうとしたが、すんでのところで、摑み損ねた。

それは宙を舞って、カラカラと音を立てて、床に転がった。

「レイ君、返事ができるのか」

「北周一郎でいいですよ、bloodさん・・・・」

少しでも話すのにも、辛いようだ。微少なエネルギーの消耗にすら耐えられないと見える。

「わたしも御幸でいい」

「御幸さん・・どうしてここにいるんです?」

「それはこちらが聞きたい、ここがどこかわかっているのか、北くん、周一郎くん、いや、言いにくいな、じゃあ周でいいや・・周君・・・」

「なんで、この車青なんですか?赤だったらよかったのに」

「どうして?」

「血に汚れても赤だったら、目立たないでしょう?パルマーニーの赤って言ったら有名じゃないですか、血染めの赤って・・」

「私に犯罪者になれっていうのか」

「御幸さんに牽かれるなら本望です」

「・・・きみは不思議に思わないのか?ここで、わたしと出会う偶然がだ・・・・。いいか?わたしはうさはらしに、ドライブしてるんだ。何の目的もない。そんなわたしがきみとかち合う可能性はほとんどゼロに等しい」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

「御幸さんのバンド、シノイキスモスでしたっけ・・・・アルバム聞いてますよ」

「よく、舌を噛まずに発音できたな」

「これでも、世界史の成績よかったんですよ。史学科行けばよかったと思ってます。」

「それで、象牙の塔にでも籠もるつもりか」

「―――――――――、そうすればこんなことにはならなかったと思います」

レイは目を細めた。目の舌には隈ができていた。

「きみにはムリだな、私の観察するところ、学者向きじゃない」

「いまからでも遅くないですよ、受験勉強はじめようかと思って居るんですよ」

「本当か?」

御幸は慧眼を、隣に向けた。光が放たれる。

「御幸さんは、僕に何をさせるつもりなんですか」

「せめて、いまの境遇から脱して貰いたい、じぶんの力でね・・・・いまのところは」

「病人のフリはやめろってことですか?こんな時間に病院抜けだして、あてどもなく高速さまよっていれば、十分病人ですよ」

御幸は焦らなかった。急いでは事をし損じると言う。

「どうして、ここまで来られたのか課程が聞きたい。精神病院からの脱出とな・・・小説にもなりそうじゃないか」

「御幸さんは、人をなんだと思っておられるんですか、僕を犯罪者呼ばわりしないでください・・・別に鉄格子の中にいたわけではありませんよ」

 車は大津ICについた。

「巨大な水たまりですね。あれはなんです?」

「琵琶湖だ。ちょっと、ここで休もう」

御幸は、鍵をちゃらちゃらさせながら、ドアを開けた。

「大丈夫か。手を貸そうか」

「やめてください。大丈夫です」

レイはきっぱりと言った。しかし、立ち上がりながら、すこしだけ後悔した。御幸の肩が見えたのである。別に、筋肉マニアというわけではないから、男並にたくましいというわけではない。ただ、頼りがいがありそうなオーラを感じたのである。それはごく内面的な力だった。

「どうした」

よろめきながら、車外に出てきたレイ。そのまま、御幸の胸に倒れ込んだ。

(やわらかい・・・)

レイは、髪の毛ごしに御幸の胸を感じて、以外な感じがした。どっちかと言えば、冷たい印象を与える御幸である。筋肉なども良い具合に発達していて、硬いイメージが先立っていた。そこへ、ふんわりと柔らかい胸が提供されたのである。

(あたたかい・・・・)

「ぁ、すいません」

レイはまるで女子中学生のように、謝った。それが、御幸はおかしくって微笑を隠せなかった。

 

 

 

 

 



 


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