『記念の緑 SCENE007』
何処までも、荒野が広がっていた。何処までも・・・・・。
それは、レイの書いた小説『永遠の緑』の末尾だった。
「・・・・・・・」
しゃかしゃか聞こえるのは人の声だ。電話口で喋る人達。
それらは、イヤホーン越しに聞こえる音楽に思えた。
ここは、明光出版の編集部。
最上義之は、壮年の編集者と向かい合って座っている。編集者は、もう定年まじかと思える。
長年、数多くの作家たちと、やりあってきたのだろう。
柔らかな目の奥に、何やら歴戦の勇姿を感じざるをえなかった。
こんな人物を相手にするなどと、作品がどう見られるのかが、気が気でなかった。
この時、義之は、『記念の緑』がまるで自分の作品ではないかという、錯覚に陥っていた。
じしんが受けたいじめの体験を含めて、長年、レイの影を努めて来たことからも、それが他人の作ったものに思えなかったのである。
「最上さんでしたな・・」
「はい・・・」
「あなた、これが本当に処女作なんですか?初めて、持ち込みをしたと伺いましたが・・」
石田鹿介は、眼鏡の位置を元に戻すと、言い始めた。
その姿は以前の彼ではなかった。以前の彼を知っている者なら、驚くにちがいない。作家志望者を目の前にして、この態度はありえないと思うだろう。
細長い顏に、温和な笑顔が浮かぶ。
それは、かって、作家志望者に畏れられた存在とは思えなかった。
「あんた、これ、紙とインクの無駄だよ・・・・もうやめたほうがいい」
数多くの志望者がこれで、門前払いを食った。
かの、有名作家である石橋丹算もその餌食となった。
丹算は三回ほど、その台詞を言われて、やっと原稿をまともに読んでくれることに成功した。
「お、おねがいです、僕は、なんとしても作家になりたいんです。せめて、読んでください、読んでくれるまでここを動きません。
もしも読んでいただけないなら、窓から飛び降りて死にます!!」
三回目、丹算は、あの台詞を言われるなり叫んだ。
「ふうん、君は、すくなくとも作家の才能のひとつを持っているようだな」
「それは何ですか?」
「それを俺に聞くのか!?いいか?それについて作品を書いてこい!これが最後のチャンスだ」
それから、丹算は一ヶ月かかって、『作家の一生』を書いた。
やがて、芥川賞を受賞する布石になったと言われる。
「最上さん、私は、三十年ほどまえ、あなたに似ているひとに出会いました。
それから、ずっと、彼に関わってきましたが、定年まじかにあなたのようなひとに出会えたことは感慨深げです」
「はあ・・」
「石橋丹算という作家をご存知でしょうか」
「そっりゃ・・知らないひとはいませんよ、卑しくも本を読んでいると自負するなら・・・・大河ドラマの原作を何本も書いてますし・・・」
「あなたは、その彼と同じ目をしている」
「紙とインクがもったいないと言われたそうですね」
「もし、三十年前なら、あなたに同じ事を言ったでしょう。しかし、時代も変わりました。
いまのひとは、以前のやりかたでは育ってくれません」「あの、作品についでですが・・・。それなりの価値があるとお認めになるのですか」
ここで、義之は、その真実をあかしてしまおうかと思った。
しかし、目の前の男は信義を大事にする人間に思えた。
そうすれば、この作品は永遠に世に出なくなってしまう。
それよりは、ここで世にだして、綺麗に消えてしまえばいい。レイも約束してくれた。
「わかったよ、この作品だけだ。あとはもとめない」
「・・・・・・・・」
石田鹿介は、とても綺麗な目で義之を眺めた。それはこの世のあらゆるものを見通してしまいそうな目だった。
義之は、それを畏れた。すべて、この人は理解しているんじゃないかと・・・。
「ペンネームはどうするんです?本名で行きますか?そう言えば、ご職業を窺っていませんでしたね」
「私は、アイドルのマネージャーをしています」
「そうですか?彼らのおもりは大変だと聞きますが」
「・・・彼らはそんな人間じゃありません!・・す、すいません」
「いえ、それは失礼、あなたは作家に必要な才能のひとつをお持ちのようだ。これは丹算にも言ったことですが」
「『作家の一生は』それを元にして書いたと言われますが」
「ひとつは、根性です。そして、押さえがたい激情。作家は普通のサラリーマンと逆のベクトルが必要なんです。
すべてを疑うこと・・・・何処も安住していては作家とは言えません」
義之は似たようなことを誰かから聞いたようなきがした。あるいは、文章で読んだのかそれはわからなかった。
「では、この作品を本にしていただけるんですか」
「まだ。決定ではありませんが、編集会議にかけてみましょう」
石田鹿介がこのように言うなら、事実上、本になると言えるだろう。
これで、義之の仕事も終わった。これで、マネージャーとしての影の仕事に専念できる。
野球の夢が閉ざされて以来、義之は影になることを徹底してきた。
彼に桧舞台は似合わない。
それを支える舞台でありたい。
役者は当然、レイだ。
「安藤満介というのはどうでしょう」
「いいですが、今風ではありませんな・まあ、いいでしょう・・まだ考える時間はいつもであります・・・では後日、ご連絡申し上げます」
義之は立ち上がると、典介に握手を要求された。がっちりとした握手だった。
老人の目の近くに走る幾つもの皴を見た。そこには、確かに男としての彼の人生が刻まれていた。
それは、彼に関わってきた多く作家の哀歓が書き込まれているように思えた。
義之は廊下に出たが、まだ、手の中に彼の手が残っているような気がした。
その時である。背後から、可愛らしい女性の声がした。
「何処かで会ったかしら?」
「え?・・・・bloodさん?」
義之は、一瞬目を見張った。声と実体のあまりの差異についていけなかったのである。
しかし、こんな彫刻のような顏がふたつをあるはずはない。
声からすると、まるで中学生の女の子のようだ。しかし、身長は175pは優に越えているだろう。
全ロック界の憧れであるbloodがそこにいた。
(本当にこの人の声なのか?)
義之はbloodの背後を見ようした。後ろに付き人でもいるのではないと思ったのである。
「そうだ、あんた思いだした。Crystalsのマネージャーだろう?」
少女のような声。たしかにこの人の声だった。
「はい・・・そうです。」
それにしてもこのひとの顏は誰かを彷彿とさせる。それは現実の人間ではなかった。アニメの世界である。
それは、日本SFアニメの草分けとも呼ばれる作品である。そのキャラクターに似ている。
それは女性ではなく、男性だった。
当時、イケメンという言葉はなかったが、現在において、アニメ界きってのイケメンと言えば、多くの人達が彼を指すのではないか。
因みに、そのアニメは1970年後半に発表されて以来、世代を越えて受け継がれている。
そんな伝説のアニメのキャラクターに似ているとは・・・・。
整った目鼻立ちと、鋭角な顎・・・それは女性のものではない。
しかし、その声は少女のようにしおらしい。そんなアンバランスが義之の気をひいた。
「わたしたち、Crystalsはみんなあなたを憧れにしているんですよ、サインを頂けたら光栄です」
(わたしたち?)
bloodは不思議に思った。義之の言い方である。そして、すこしうらやましく思った。
それほど信頼関係が結ばれているとは・・・・。
「ここで、会ったのは奇遇だ。食事でもしないか」
「は・・・・はい・・・。」
義之に断わる理由はなかった。今日一日、嵐山にまかせているはずだから・・。
義之が乗り込んだのは、赤いスポーツカーだった。
その車は、イタリアの都市、パルマに因んだ名前で、パルマニーと呼ばれる。高級車の代名詞である。
赤のパルマニーは一億五千万円はすると言われる。
因みに、bloodの車は青である。
「あまり、目立つのは好まない」
軽快なエンジン音をバックに、bloodは言う。
「そうですか?パルマニーっていうだけで目立つと思いますが」「・・・・それはいい・・。なんで、君がそこにいたのかな、crystalsの誰かが、自伝でも出すのか?わたしと同じように」
「え?bloodさんは自伝を出されるんですか?」
「その願いの連絡はあった。向こうから来るっていうはなしだったが、こっちから出向いた」
「どうしてです?」
「いちど、編集部っていうのを見てみたかった。噂の石田典介の顏も見たかったしな」
「・・?」
「娘としては、見ておきたいものじゃないか、親父がどんな仕事をしているのか・・・。もう定年まじかだし」
「な・・・!?石田さんのご令嬢であられたのですか?」
「その、皇族みたいな言い方やめてくれないか」
「・・・すいません・・石田さんはその話を知っているのですか」
「さあ・・知らないと思うな、知ってたら、来させないと思うよ、親父はね」
しかし、どうしてじぶんにこんなことを言うのだろう?義之は不思議に思った。じぶんを食事に誘ったことさえ裏があるんじゃないか。
義之は、不信の目でbloodを見た。
ちょうど、目が重なった。まるで戦士のような目つきに、義之は、ふたりの父娘関係を見た。
彫刻のような顏が濃い陰影を作っている。
「前見て運転しないと」
「大丈夫さ・・・で、私も明かしたんだから、あんたも明かしてくれよ。どうして、あんなところにいたんだ」
「・・・自伝の話があるからです」
「みんなまだ高校生のお子様だろう?」
「?校は卒業してます」
「ま、詳しい話はあそこで聞こうか」
車は、とあるホテルについた。そこは、都内でも有数の高級どころである。
一泊、ビジネスクラスでも五万はかかる。
「いらっしゃいませ」
ホテルマンがやってきて、ふたりは車外に出る。車は地下駐車場へと消えた。
ホテルのロビーはほとんど宮殿である。
bloodは、義之が目を白黒するのを楽しんでいる。
「わたしたちは、本当に不便なのは知っているだろう?ちょっと食事をするにもこんなところに入らねばならない。
安くてうまいところなら、いくらでも知っているさ。学生時代に入り浸ったからな。だが、ここまで有名になるとそうはいかない・・・うるさい蝿どもが騒ぎ立てるのさ」 義之は、bloodのことばに、レイのことばを重ねていた。
有名人というものは同じ物言いをするらしい。
bloodの姿を見ると、支配人がすぐにやってきた。馴染みなのだろう。
ふたりは、彼にいざなわれて、エレベーターに乗り込んだ。
一方、bloodは義之の背中を見て、ほくそえんだ。
(将を射んとする者は、まず馬を射よ・・・か。慌ててはいかん・・。)
慧眼をさらに細めた。
個室に入るふたり。
「メニューを頼みます」
「はい・・・。」
bloodは何故か丁寧な言葉使いをした。義之はこの人物の人間を捉えかねていた。
卑近なものいいをするなら、人間の二面性。しかし、そんな単純な表現で、この人物を表現できるものではない。
「そうだな、何から話そう・・・・あ、待て・・・・すまん」
bloodは急に慌てた。そして、次の瞬間、畏れるべき行動にでたのである。カバンの中から何やら紙を取りだした。それは五線譜だった。
ペンを取りだすと、そこにおたまじゃくしを並べだしたのである。
音楽というものは、それをわからないものには、全く知らない外国語に等しい。
義之には、それが何を指すのか全くわからなかった。
彼にとってみれば、音大の作曲科の答案用紙も、大バッハの譜面も同じなのである。
「・・・・・」
20分ほどそれは続いた。もの凄いスピードでペンは紙の上を踊った。
(そう言えば)
bloodは、音楽雑誌の取材中でもそれを始めるらしい。
それは、義之が雑誌の編集者からじかに聞いたことである。
「まったく困りますよ。あの人、取材時間を2時間もオーバーしたんですよ」
そうぼやいていた編集者の顏がいまでも浮かぶ。
「・・ああ。すまん、何を話してたんだっけ」
「鼻山足袋のことですよ」
「あ・・cool`s mateの編集者のことか・・あ・・すまん、急に曲がうかんでくるものだから・・」
その顏はまさに少女のそれだった。義之は何故か好意を持った。
話しているうちに、メニューがやってきた。
「君は何を頼む?」
「鯵の開き」
「・・・」
「わかりました。BLOODさんのと同じで・・・」
「じゃ・・・・・・を頼む」
BLOODは、義之の聞き取れない声で、何事か言った。
「何を頼んだんです?」
「仔羊のブルゴーニュ風。」
「なんだか、難しい料理ですね」
「名前が難しいから、うまいというわけではないが。ここのシェフは一流だ」
BLOODを見てて、義之は、思った。
(このひとは本当に、現代人なのだろうか)
その仕草は、貴族的で、旧華族を彷彿とさせた。bloodは、フォークを前菜のパスタに絡ませる。
義之は、何だか居心地悪いものを感じた。自分がこの場所にいてはいけないような気がして来たからだ。
(レイならば、このひとをうまくやっていけるだろう)
義之はふと、思った。彼は上流階級出身だった。
何とか、話題を取り繕うとした。
「どうして、私を食事に招待なさったんですか」
「君たちに興味があるからだ・・・そして、もうひとつ」
「もうひとつ?」
「思い付きだ。私は知性ある人間と関われるのが何よりも好きなんだ」
「私が、知性ある人間ですか」
「そうでなかったら呼んでいない」
「一見しただけで、わかるんですか」
「私は、人間を見る目に多少、自信を持っている」
オードブルがやってきた。
「君は、Crystalsのことを紹介するのに、わたしたちと言ったね」
「え?」
義之は急に、話をふられて、反応できなかった。
「君は、メンバーのひとり、いや、重要なメンバーだと思っていいのかな」
「わたしは単なるマネージャーです・・・レイとは、たしかに幼馴染ですが・・。」
「そうかな?」
bloodはいたずらぽっい目を向けた。こんなとき、このひとは27才という年齢を忘れさせる。たしかに少女がそこにいた。
しかし、その奥にはたしかな知性が光っていた。
「こんな言い方をしたら、怒るかもしれないが、あんたたちは養老院だ」
「な!?」
義之は色めきだった。それが一般に失礼なことばだったが、それがレイが言っていたことだったからだ。
「それはどういう意味ですか」
「伊東純水に、皮等啓介・・・たしかに1時代を作り上げたシンガーソングライター・・これはもう死語だな・・・それはいい。彼らのための養老院だろ?」「・・・・・・」
「しかし、きみらは、そこから脱皮しようともがいている。それにオレは感動しているんだ」
(このひとは、なんて、ものすごいことばをさらりと言うんだろう)
「どうして、そんなことがわかるんですか」
「・・カンさ」
bloodはCDを聞いたことを言わないで置いた。レイとAlfredが立ち回りを演じたあのCDのことである。
その理由はbloodじしんわからなかった。
やっと料理が来て、デザートとなった。
「bloodさん、私だったら、気付かないと思いますよ」
「何が?」
「もしも、このアイスクリームですが・・・」
「これが?」
「もしも、100円のカップを、この銀器に盛ってこられたら、たぶん、高級品だと思って食べちゃうと思います」
「・・・・」
BLOODは二の句が続けられなかった。
とにかく、この若者は面白いと思ったことは確かだった。
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