『記念の緑 SCENE004』



ルクレツィア おまえが 同じ腹から生まれたことなど 知らぬ

ただ おまえを抱いていたい おまえを貫いていたい

ルクレツィア 吾が妹 いとおしい女よ

剣を血で汚さないで済む日など 知らぬ

ルクレツィア 吾が妹 おまえだけが 吾が心臓・・・

幽かにチーズの臭いがする部屋。ここは都内のカラオケボックス。
レイは何かに憑かれたように、歌っている。観客は最上義之ひとりだけ。
いつもよりも、はるかに真剣な顏で、室内の空気を振るわせている。いつもとは、数万人が入るライブや、CDのための収録のことを指す。
収録と言えば、さきほど、メンバーと喧嘩をしておじゃんにしてしまったばかりだ。
それなのに、よく歌えるなと義之は思う。しかし、これしか、ストレスの解消法がないのも事実だ。
いまは、好きなだけ歌えさせてやればいい。もっとも、このことがメンバーに知れたら喧嘩の再燃じゃすまないかもしれない。
「そんなに歌えるなら、スタジオで歌ってくれよ」
とAlfredでなくても言いそうだ。
当のレイは、そんなことを記憶から消去してしまったのか、おのれの歌唱に没頭してしまっている。
いつしか、レイのヴォーカルは熱を帯びて、個室の温度が上昇しているかのように錯覚した。
レイは画面に、並ぶ文字を見ずに歌っている。あたかも、歌手が自分の歌を歌うように。
ナンバーは、レイたちが憧れるバンドFATHER LAND の楽曲である。
バンドの中心人物であり、多くの楽曲を創っているBLOODの曲。
彼女の曲を歌っているとき、レイは、母親に抱かれているような感触を味わうことができた。
この時、彼は唯一、本当の歌唄いになれた気がした。生きている気がした。他人の操り人形などではなく、本当に歌いたい歌を歌っている。
何万人も入る会場で歌っているとき、彼は、マリオネットにすぎない。
マリオネットを操っているのはふたりの老人である。
老人と言ってもふたりとも45才に達しない。ふたりはかって、有名バンドのメンバーとしてステージをおおいに賑わせた。
しかし、いまとなっては創意工夫をする余力も才能もなく、過去の栄光にとりすがるしか能がない。
そういう意味において老人と、レイは呼んでいた。

レイはそれが不満でたまらかった。
旧いメロディを使い回すだけの作曲家と、ことばの海に繰り出すことをやめた作詞家に何ができる?
レイのような有能なマリオネットを操ることだけだろう。
彼は、マリオネットとして一流だった。それは老人たちの養老院という意味合いを持つ。
しかし、それで終わるだけの男ではない。レイには、そのような根拠のない確信があった。
 ルクレツィア、ルクレツィア おまえはローレライ

珠玉の美と悪鬼の獰猛さを 合わせ持つ 妖女

そんな感興を壊した音がある。店の時間の終わりと告げるアラームだった。
「延長するかい?」
「あ・・」
義之の問いに、力なく答えるレイ。既に生も今も尽き果てているように思える。
「あと一時間だけだぞ」
「うん」
義之が電話線を通じて、店員にそのむね告げる。
「何か冷たい物を頼む」
「オレンジジュースを二つ」
義之の発言に、レイは美貌をゆがめた。
「オレンジジュース割りなんて聞いたことないな」
「単なるオレンジジュースだ」
「酒がほしい」
「だめだ」
「なあ、オレは売春婦か?」
「突然、なんだ?」
「う・・・なあ」
ことばにならない声。 「失礼します・・オレンジジュースをふたつお持ちしました・・あ」
アルバイトの女の子の声が上ずった。
「なあ、こいつレイに似てるだろう?よく言われるんだ」
義之はまずいと思い、機転を聞かせる。
しかし・・・。
「ねえ、君はぼくのファンなの?」
「おい、レ・・」
義之のことばを制して、レイは続ける。言葉使いが違う。彼は仮面を被ってしまった。
意図してのことが無意識か、それは義之にもわからない。
ただ、わかるのは既に投げやりってことだけだ。
「おい、もう帰るぞ、レイ・・・」
義之は内心まずいと思った。思わず言ってしまったのだ。
レイは、義之の苦労など知らずに続ける。
「君、僕のファンなの?」
「そうです・・・。」
「名前は」
「和泉礼っていいます」
「レイ?僕と同じ名前だね、奇遇だね?じゃあ、結婚しない」
相当、酔いが回っているなと義之は思った。
それ以上に、世界に酔っているのかもしれない。
相当の悪酔いだ。はやく覚まさねば。
「いま、仕事中ですから」
少女はごく常識的なことを言った。
「そんなのどうでもいいじゃん。僕が君の給料を払ってあげる。終身制だよ。
もう僕なんてさ、普通のサラリーマンが一生で稼ぐお金の何倍も持ってるんだよ。もう生きる意味なんてないけどね。
でも、君が生きる手伝いはさせてあげる。そのかわり、僕のごはん作ってよ」
レイは長い台詞をいい終わるなり倒れこんでしまった。
圧倒されている少女。
「ねえ、君、今日のこと忘れてほしいんだけど」
もはや、嘘はつけないと思った義之はそう切り出した。倒れてしまったレイを安楽椅子に寝かせながら・・・。
「レイさんきっと疲れているのね」
「ありがとう、だれにも言わないでね」
「仕事にいかなくちゃ・・あ」
「なんだい?」
「しゅうしんせいってどういう意味ですか?」
「辞書で調べてごらん」
最上義之は、タバコに火を点けながら、少女の背中を見送った。
レイは、安楽椅子に伸びている。その寝顔はあくまで無邪気だった。人の気も知らずに暢気な物だと思った。


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